可能な限り


できることをする


上達するのに必要なこと

 空手の稽古をする上でいろいろ大事なポイントはありますが、一番、重要なのは
「できることをする」
ではないかと思います。

 こう書くと、 「できないことだから稽古するんじゃないか!」 と憤慨される方もいるかもしれません。

 詳しく書くと次のようになります。

 現在できないことができるようになるために、今できることをレベルを上げて行なうことでそれが自然とできるようになり、今までできなかった更に上のことができるように稽古する。

 ちょっとくどい言い方ですね。

 要は、できることをコツコツやれ、ということです。

 できないことを無理してやろうとする必要はありません。稽古するということに意気込みすぎると、ついついできないこと、難しいことをやろうとしてしまいますが、自分にできることをコツコツと繰り返すことが大切です。

 技術的にもそうですが、体力的にも同じことが言えます。技の場合はできないレベルはわかりやすいのですが、体力的な面は外からはわかりにくいところがあります。
 それに、試合に向けてのハードな稽古と普段の稽古とでは、その「できること」のレベルは違ってきます。

 大会に向けてハードな追い込み稽古をすると、本人には「無理!」と思えることであっても、指導者から見れば「十分にできる」場合があります。
 そんな場合は指導者が激しい稽古を課してやらせることが必要になってきますが、逆に、自分だけでトレーニングしていたりしたらその限界が見えにくくなり、やり過ぎてしまうことも多いのです。

 技術面で言えば、できないことは「できない」のですから、やりすぎることもないのですが、技術的に「出来ること」をやっていると、つい惰性になってしまうことがあります。それに流されず、できることであっても真剣に繰り返していくと、同じことでも精度が上がっていきます。
 それまでは意識して動作を正確に行なうのに捉われていたことが、無意識に自然とできるようになると、一段上のレベルのことに取り組むことができるようになるのです。
 その繰り返しで上達していくんですよね。

 では、上達するためには、具体的に何が「できること」で、何が「できないこと」なのでしょうか。
 普段の稽古で言うなら、必ずできることは、まず、「声を出す」ことです。

 こう言うと「それは技術以前の話じゃないのか?」と思われる方も多いのですが、声で気合を出すことは、技術の上達に関わってきます。
 ただ単に、発声練習みたいに声を出しているだけで空手が上達することはありませんが、稽古の時に「気合を出せ!」はよく言われるセリフです。
 では、なぜ「声を出せ」と言われるのでしょうか。

 別のところにも書いていますが、声を出すことと気合を出すことは同じではありません。けれど、大きな声で気合を出すことによって、やっていることに集中する効果は間違いなくあります。声を出すことと気合を出すことは厳密には違いますが、初心者の内は同じと考えて差し支えありません。

 私が少年部の指導で一番重視していることは、「声を出すこと」です。大きな声で気合を出すことが何より重要です。
 技そのものができる、できない以前に、その稽古に集中して真剣に取り組んでいるのかがそこに表れるからです。
 大きな声を出して一生懸命に取り組むことができる子は必ず上達していきますし、何より物事に真剣に取り組む姿勢が養われます。

 空手の技が上達していくことも大切ですが、少年部の稽古で一番大事なことは、物事に真剣に取り組む姿勢を養うことではないでしょうか。

 その点で見れば、大きな声で気合を出すというのは、稽古においてとても重要な役割を持っていると思います。

 うまくなるためにとか、強くなるために、上達するために、など、「気合」が必要とされるいろんな理由が考えられるし、一つのためだけでなく、いろんなことに繋がっていくことなのですが、声を出すという事は、要は「気持ち」の問題です。

 「どうしてこの飛び後ろ回し蹴りができないんだ!」と言われても、できない人にはどうやったって無理な話です。けれど「声を出す」のは、どんなに初心者でもヘタクソでも「出そうと思えばできる」ことです。できることを全力でしない者が上達しないのは当たり前ですよね。

 柔軟で開脚が180°開いて胸を床に付けるのは、できない者にとってはどんなに気迫と気合を入れてもできませんが、「大きな声で気合を出す」のはその気さえあれば誰にだってできることです。

 細かい理屈は置いといて、とにかく大きな声で気合を掛ければモチベーションも上がり、稽古に集中して取り組むことで技術も上がっていきます。
 声を出すことが上達への第一歩です。

 大人であっても事情は同じで、一般部でも少年部でも、声を出すのは重要な稽古です。
 つまり、声を出していないということは、稽古できていないということです。

 逆に大人の方が恥ずかしさが先に立って大きな声を出しづらくなっているようです。
 大人になるほど回りの目が気になって大きな声を出すのが恥ずかしく感じたりすることがあるようです。
 確かに、回りがそれほど大きな声を出していない時に、自分だけ「ヤーッ!」と大きな声を出してしまうと、「しまった・・・」と感じる時があるものですが、気合を出さない稽古よりたとえ間違ってでも大きな声で気合を出した稽古の方が上達するに決まってます。

 技術的な観点で言えば、気合を出す、出さないの使い分けは、上級者になってからできるようになるものだと思ってください。

 更に言えば、それを使い分けられる上級者であっても、初級者と一緒に稽古をするときには、上級者は見本を示す必要があるのですから、しっかりと気合を掛けた稽古をしてもらいたいものです。

 このコラム欄でも再三述べているように、大きな声で気合を掛けて稽古した方が上達する要素が大きいのですから、せっかく空手をしているのなら、しっかり気合を声に出して稽古に励みましょう。


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