何のために


空手をしているのか


始める理由・続ける理由
 このHPでも度々この話は取り上げていますが、空手をする理由はやる人それぞれにあっていいと思っています。

 始めるきっかけが何であろうと、稽古を続けている理由が何であろうと、その人の生きていく心の支えになり、人生で役立つのであれば、それだけで空手をやる意味があると言えます。

 ただ、目標にしているものが小さいとそれを達成したとたん、空手を続けるモチベーションがなくなってしまうことになります。
 単に「黒帯を取りたい」「試合で勝ちたい」だけだと、それを成し遂げたとたんにやる気が失われてしまう人が多いようです。

 また空手を始める動機が「ケンカに強くなりたい」というちょっと不純な動機であっても別に構わないと思っています。
 当会では若い男の子がケンカで強くなりたいと言って入会してきても
「空手はケンカに使うものではないで入会を認めない!」
 なんてことは言いません。
 空手を学んでいくうちに、目の前の小さなケンカで強くなることより空手で強くなる方がはるかに大変で価値があると気付くからです。

 壮年部くらいになってくると空手を続けていくこと自体の難しさと、それを乗り越えて稽古する重要性、その価値に気が付いていきます。

 小学生の内から空手を始める子は、「空手で強くなりたい!」という子ばかりでなく、同じ体を動かすことであれば礼儀作法も身に着けた子になってもらいたいと親が連れてきて希望することが多いものです。

 もちろん、体験してもらった上で本人もやりたいと言わなければ入会することはありません。けれど、最初の内はキックミットをバンバン蹴ったり、普段使わない体を動かすことで、気分が高揚しているので頑張るのですが、武道の稽古なんてものは毎回同じことを繰り返しやるものですから、子供はすぐに飽きてきます。
 更に組手をするようになると、最初は初心者だからとすべて受けに回っていた相手が、慣れてくると向こうも突いたり蹴ったりしてきますから痛い思いをすることになります。

 そういった痛みを知ることで、相手に対しての思いやりを知ったり、下の子には力をコントロールしてやることを覚えたりしていくのです。

 そうやって自分自身の中での成長を知るだけでなく、昇級審査で帯の色が上がるのを目標としたり、大会に出て試合に勝ったりすることを目標にする子もいます。

 しかし、そういったものを目標にしていると試合で勝てなくなったり、黒帯まで取得するとそこで目的を達成した気持ちになって辞めてしまう者が多くいます。

 武道としての空手を学ぶ醍醐味は黒帯を取得した以降にあるものなんですが、とりあえず黒帯まで取得できれば一区切りついた段階ですから、それも仕方ないのかもしれません。

 しかし、私は、そういった目標の先にある空手をやる大きな意味は「自己実現」にあると思っています。

 空手をやることで自分の限界を知り、それを少しずつ乗り越えていく中で自分らしさを発揮できるもの、それが空手道だと思っています。

 けれど、最初からそれを声高に主張しても、禅寺の修行僧じゃないんだから、そんなので空手を続けようなんて奴はほとんどいないでしょう。

 ですから、空手を始めるきっかけが何であろうと、続ける動機が何であろうと、その時点での目的に向かって懸命に努力させることが重要になってくるのだと思います。

 なので、私はまだ義務教育の子供に対する指導はけっこう厳しかったりします。子供の間に知っておかなければならないこととして身に着ける必要性があるからです。
 真剣に行なっていなかったり、特に組手をいい加減にしていたりするとケガにも繋がりますから強く怒ったりしますし、ゲンコツが入ったりすることもあります。(最近の学校ではこんなのもすべて「体罰」として禁止されているようですが、「体罰」と「暴力」は別物だと私は考えています)

 子供の時代に楽しく空手をやるというのも大切かもしれませんが、やらなければいけないことをキチンと大人が指導するのも武道の重要な役割だと考えます。

 まぁ、そんなスタイルですから(そんなスタイルでなくても?)、上の学校に上がる時に辞めていく子が多いです。

 ごくまれに小学生の時に辞めた子が大人になってから道場に戻ってくることがあります。指導者としてはとてもうれしいものです。

 子供の時にイヤになって辞めた空手になぜ戻ってきたのか。おそらく何かきっかけがあったのでしょう。けれどそのことを根掘り葉掘り聞くことはしません。いったん辞めた空手を再開するのは大人でも中々踏ん切りがつかないものですから、敢えてそんなことは聞かずに稽古に参加させています。

 子供の時より大きくなった体に驚き、以前の経験もありますから再開してしばらくは見るみる上達していきます。

 よし、これなら一般部としても大丈夫だ。帯も元の色で稽古させようか、と思っていた矢先に稽古へあまり姿を見せなくなってくるのです。

 大人になって空手を再開させようと思ったきっかけは何だったのか。恐らくは「強くなりたい」という気持ちが肉体的なものだけでなく、精神的にも強くなったのでしょう。もちろん肉体的強さが精神的な安定を生み出すのですから、その両方なんでしょうが、その具体的きっかけは何だったのか。

 空手ですから大前提として、まずは肉体的に強くならなければいけません。そして、その空手を身に着けたい理由として第一に挙げられるのが護身です。何よりまず、自分の身体を守ること。それができないなら空手をやっている意味なんてありません。
 自分自身の命を大切にし、慈しむこと。そこから他人への思いやりが生まれるのです。
 自分自身を守り、更に周りの人を守る力を身に着けることによって平和な人生を送っていけるようになる。それこそが空手をやる大きな目的とも言えるもので、それがなければ空手をやる意味などないのです。

 稽古を再開した理由をもう聞くことはできませんが、空手を再び始めたその気持ちをなぜもっと引っ張ってやれなかったのか、指導者として悔やまれます。


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