世界チャンピオンになるために


素質と努力


膨大な稽古量


 先日、フルコンタクト空手界では主要団体の一つとなる組織の現役世界チャンピオンが当道場へ出稽古に来てくれました。
 彼がまだ小学生の時から知っているのですが、当時はそれほど飛び抜けて強いというほどのものではありませんでした。もちろん同学年の試合ではよく決勝まで上がってくる選手でしたが、そんな選手はいくらでもいます。

 しばらく見ていなかったのですが、空手仲間の風の噂でメチャクチャ強くなっていると耳にすることが増えました。
 当会の師範代が昔に出稽古へ行って相手していた時は、まだ中学生だった彼を軽くあしらっていたそうです(当然ですが)。それが今や世界大会で優勝するほど強くなっているのですから、刮目して見よとは正にこの事です。

 このK師範代を通じ、彼が出稽古に来たいという話があって、当会の稽古に顔を見せてくれました。そこで、現役の世界チャンピオンとなった彼の動きがどんなものか、非常に興味深く観察させてもらいました。

 彼は稽古の最初の準備運動からキチンと参加し、基本稽古も当会のやり方を見よう見真似で一緒に行なっていました。
 基本技の種類は流派や道場で異なるので、初めはややぎこちない所もありましたが、すぐにスムーズにこなしていました。

 注目したのは正拳中段突きです。これはどの流派の空手にもほぼ共通と言える技ですが、彼の基本の突きは素晴らしかったですね。

 当会では三戦立ちで基本を行ないますが、実は、三戦立ちの下半身と、上半身の突きの動きを連動させるのは結構難しいのです。彼の突きは身体の軸重心の位置、そして突いた時に足からの力が拳までスムーズに伝わった非常にバランスの良い突きでした。

 その後、ミットトレーニングでキックミットの蹴り方も見ましたが、体重を軸足にうまく乗せてバランスのいい蹴り方をしていました。

 対人でのステップを使った蹴りの稽古においても、今まで何度もやったことのある当会の道場生がドタバタとぎこちなく動くのを横目に、非常に滑らかなステップでスムーズにこなしていました。

 組手になると更にその差は歴然で、当会の一般部茶帯が軽く上段を蹴られまくってましたね。
 当然、力をコントロールしてくれているので怪我はしませんでしたが、もしフルパワーなら救急車のお世話になっていたことでしょう。

 「蹴りが見えなかった」というのは当の茶帯の言葉ですが、現役の世界チャンピオンが相手なんですから当たり前と言えば当たり前です。

 そして、稽古の終了後に私が見ていて気付いた事を一つ、道場生の前で彼に披露してもらいました。
 こう書くと、どんな超人的な技を見せてもらったのだろうと思うでしょう。 しかし、残念ながら技ではありません。
股割りです。

 世界チャンピオンだから開脚は180°開いて、胸が床に付くくらい柔らかいのだろうと誰もが思う事でしょう。
 けれど、違います
ものすごくカタいのです。

 それもびっくりするくらい。

 股割りの形が富士山みたいになっていて、足を伸ばして座っての前屈も爪先まで指が届くかどうかです。

 その固さで180cm近い相手の上段を蹴りまくるのですからたいしたものです。
 ひとえに彼の稽古の賜物と言えるでしょう。

 世界チャンピオンになる選手は一般的な我々と違って、ものすごく素質に恵まれた人だと思っている人も多いでしょう。
 もちろん、それに間違いはありません。けれど、すべての素質に恵まれた人などいませんし、天賦の才能だけでは頂点には立てません。多くの素質に恵まれた上で更に努力をした人がチャンピオンになれるのです。

 彼は「柔軟性」において素質に恵まれていません。しかし、それを上回ってカバーする「努力する」才能があります。

 彼は体の固さをカバーする身体の使い方を身に付けています。
 一般に体が固い選手は、高い蹴りを最初から諦めて下段の蹴りと突きを中心とした組手をするようになります。

 ところが彼はその固い体を限界まで使って上段への蹴りを出します。身体が柔らかい者なら難なく蹴れる上段を、同じように蹴るために身体の使い方を工夫します。
 自分の可動域を最大限に使い、ギリギリまでバランスを取って蹴るのです。

 更には、この蹴りを入れる為のタイミングスピードに磨きを掛けます。
 恐らくは、彼がその技を使えるようになるまで、同じ動きを途方もなく繰り返し、反復したに違いありません。

 そして、この蹴りがあるからこそ彼の突きが生きてくるのです。その突きも先に述べたような全身の力を集中させた突きにするために、膨大な数の突きを行なったのは想像に難くありません。
 それを繰り返す努力こそが彼をチャンピオンに押し上げたのでしょう。

 彼に恵まれた最大の素質は「努力することができる才能」ではないでしょうか。

 そして、それは生まれ付きの身体的素質とは違い、意志の力誰にでも身に付ける事ができる能力だと思います。

 その事を知ってもらいたくて稽古後にみんなの前で彼に股割りをお願いしたのですが、いわば自分のダメな部分を嫌がらずに見せてくれた所に、彼の人としての大きさがわかります。そして、そこには努力でそれを乗り越えた自信が現れているのだと思います。

 ちなみに、彼の突きの動きは、最近、伝統派で注目されているT手のY先生の突きの動きと酷似していたように私は思いました。

 なぜ私がこのコラムで彼を取り上げたかというと、一般にうまくなる人、試合で上位に入る人は、素質に恵まれた人だというふうに思われています。 もちろん彼も運動能力が低いわけではありませんが、柔軟性の点で言えば、彼はかなり固い部類に入ります。初心者であれくらい体が固いと上段へ蹴りを出すのを諦めてしまう人も多いでしょう。

 けれど、自分に足りないところがあっても頑張って稽古を続け、努力すれば彼のように チャンピオンにまでなれるという事を知ってほしかったのです。

 彼は体格の面で言えば中量級ですが、重量級の相手に対しても、まったく臆することなく向かっていきます。
 その負けん気と強いハートは戦いの場だけでなく、そこに到る長い稽古において継続的に発揮され続けていて、できない技をコツコツと繰り返して身に付けているのです。

 素質というのは天性の身体能力だけではなく、「努力できる能力」こそが素質なのだと痛感させられます。

 諦めない努力の延長線上に世界チャンピオンという結果が付いてきたのだということを、現在、空手をしているみんなに知ってもらいたいと思います。

 彼の組手の優れている点は間合いの取り方にあります。
 一般に間合いの取り方がうまいという時は、相手の攻撃をギリギリで避ける場合に使われることが多いのですが、彼の場合は自分から攻める時にこの言葉が当てはまります。

 どんなに破壊力のある突き蹴りも、当たらなければ痛くありません。これは攻撃を見切る時によく使われる言い回しですが、逆もまた真で、最適な間合いで技を出せば、ロスなくパワーを乗せて一番威力が発揮できる攻撃をすることができます。

 彼は攻める時の間合いの取り方が抜群です。

 まず、何と言っても踏み込みが速い。しかもその踏み込んだ時に自らの攻撃の威力が一番大きくなる位置を捉えています。
 相手の攻撃を防ぐために間合いをつぶす選手は多くいますが、相手の攻撃を防ぐことができても間合いが詰まりすぎて自分も攻撃ができないという場合がほとんどです。

 ところが彼は一番パワーの発揮されるポイントに的確にステップして攻撃します。
相手が前に出てくるのか、下がるのか、その動きを読んでステップしているのです。

 これは数多くの組手をこなしてきたことで掴み得たものです。

 先に述べたように彼は非常に体が固いのですが、上半身のバランスをうまく取って上段へ蹴りを出します。しかし、体が柔らかい者と較べると、そのヒットポイントは非常に狭いものとなります。けれど、その狭いヒットポイントに彼は自分の身体をもっていくことができるのです。

 相手の攻撃を見切る感覚は、ある種、本能的なもので、天性の部分が大きく影響しますが、攻撃を入れる時の間合いの感覚は、数多く技を繰り返すことの中からしか身に付けることはできません。

 何度も何度も突いて蹴って、自分の動きの中でどの位置が一番威力を発揮できるのかを身体で覚えていくしか方法はありません。

 彼が強くなった何よりの秘訣は、誰よりもたくさん稽古を積んだという事です。

強くなる即席の方法なんてありません。

 素質が無いと嘆いている人も、素質より重要なファクターは努力だということを心に刻み、稽古に励んでいきましょう。


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