入れ墨


身体髪膚


親孝行との関連
身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、
敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。

 一定の年齢以上の方ならこの言葉を聞かれたことがあると思います。儒教の経典『孝経』にある孔子の言葉です。

 戦前の日本では儒教の教えが重視され、上下関係や親への孝行が厳しく指導されたものです。現代でも中国や韓国では社会的に儒教的な考え方が一般的な道徳となっているようです。

 日本では戦後になって、そういったものの考え方は時代錯誤だとして、誰もが個人として平等だという民主的な思想が広がっています。それでも親に対する孝の精神などは、日本人としての心の奥底で基本的な心情のベースとなって存在し続けているように思います。

 冒頭の一文は、自分の身体は親から頂いたものだから、自ら傷つけるようなことはしてはいけない、という意味です。

 なのに最近は、親の方から子どもがまだ小学生のうちに、単にカワイイからとピアスをつけるために耳に穴を空けさせたりするようになっています。

 「個人の自由」という名の元で、そういった感覚の違う人も増え、以前と違って高校生くらいになるとピアスを空けるのはごく普通のことになってきています。そして、それは女子ばかりでなく男子生徒までも、です。

 以前、私の師範がテレビでウィンブルドンのテニスを見ていた時に、決勝戦で男子選手がピアスをしているのを見て一気に気持ちが萎えた、ということをおっしゃってました。

 今はもう時代が変わったと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、私も男性がファッションとしてピアスを空けているのはカッコイイと思えません。

 更にピアスにとどまらず、ファッションとして身体にタトゥーを入れたりする人も増えています。タトゥーというと何かカッコよく聞こえるのですが、要は「入れ墨」のことです。
 ファッションで入れている人は、犯罪者が入れる「入れ墨」ではなく、「刺青」と表現するべきだなどと言っていたりしますが、一般の人から見れば同じだと気が付くべきでしょう。

 日本では昔から身体に入れ墨を入れるのは、犯罪者の刻印として刑罰で入れられたものか、いわゆる「その筋の人」が自らを誇示するためにしているものでした。

 最近ではその美しさから海外などでは芸術性が高いと評価される事もあるようですが、日本では刺青をしていると堅気の人とは見られません

 ですから公衆浴場などでは、たとえそれがシールであっても、入れ墨のある人は入浴をお断りする旨を挙げているところがほとんどです。

 宗教上の理由から身体にタトゥーを入れたりするのは非難するべきことではありませんが、多くの青少年が憧れの対象として観るスポーツのトップ選手が、刺青を入れた身体を恥ずかしげもなくTVの前に晒すのはよくないと思っています。

 元プロ野球選手でスーパースターと言えるほどの人が、現役引退後に胸から背中に掛けてその道の人みたいな本格的な入れ墨を彫り、その結果、指導者としての道も絶たれてしまっただけでなく、妻子とも別れる事になってしまいました。(勿論、他にも理由はあるのでしょうが、この入れ墨が最大の原因であったと聞きます)

 彼はマスコミでも散々叩かれ、TVへの出演もほとんどなくなってしまいましたが、ある番組でその事を取り上げ、当人をゲストに呼んでその事を直接問い質していました。

 「あなたは指導者となった時に教えている子どもが入れ墨を入れたいと言って来た時にいいよって言える?」

 この質問に対して彼はこう答えていました。

 「入れ墨をしたことでマスコミに叩かれたり、世間から白い目で見られたりすることがあるとわかった上で、本人がしたいのなら別にかまわない。」

 やった事がどういう結果を生むのかをわかった上でやるのは本人の責任である、というのは間違っていませんし、そういう指導はしていくべきだとは思います。 けれど、自分もそうやって叩かれて耐えているのだから、同じように頑張るんだと言うのは、指導者として間違っていると思います。まずは、そうならないように指導すべきものでしょう。特に未成年に対しては。
 叩かれて耐えている自分を例に挙げて、お前も頑張れというのは指導者としては無責任だと思います。

 個人的趣味でタトゥーを入れるのは、それこそ個人の自由の範囲内かもしれませんが、日本においては現在も、刺青は社会からはみ出た者がするものという認識が一般であり、プールや大衆浴場へは入ることが制限されています。
 個人的な趣味を非難するべきではありませんが、一般社会の常識はそういうものです。

 インターネットによるアンケートを行なっている大手サイトでの「後悔している若気の至り」第一位は「タトゥーを入れた事」でした。  若い間はオシャレの延長で入れてしまったタトゥーを消すのに高額のレーザー治療を受けて消す人が多いというのは、大人になって世間の常識を身をもって知ったからでしょう。

 東京オリンピックを控え、観光立国を目指す日本で、タトゥーを入れた外国人が温泉に入れないのは問題だとして、タトゥーを入れた人にも入浴の解禁を求める声が上がっていますが、日本の一般の人々の間ではまだ入れ墨が一般化しているとは言いがたいですし、その認識を強制するのは難しいでしょう。 宗教上の理由がある場合などは臨機応変に対応する必要があると思いますが、単なるファッションで入れている人を無条件に受け入れるのは、たとえそれが外国人であってもするべきではないと思います。

 なぜなら、それが日本の文化だからです。

 地元の人にとって神聖な山に登山し、山頂で裸になって写真を撮ったりする外国人が許容されないのと同じです。

 単なるファッションだけでタトゥーを入れている人を無条件に受け入れて、そういう人たちのたまり場のようになってしまったとしたら、入れ墨など入れていない普通の人にとっては、温泉が安心して行く事のできない場所になってしまいます。

 小さいワンポイントのようなタトゥーなら上からシールを貼ったりして隠し、入浴を認める試みをしている温泉もあるようですが、入れ墨の大きい、小さいの基準をどこにするかでモメますし、ある程度の規制を引いたとしても、より大きい入れ墨を入れた人間が受付で「俺も入れろ!」とスゴんだ場合、その受付の人に対応を押し付けるのは少し酷というものです。公衆浴場はみんなが安心して入れる場所であってほしいものです。

 そして、そのこと以上に、自らの身体をキズつけるというのは、そう簡単に許されるものではないと考えるべきではないでしょうか。

 自分の身体を傷つけないということが、親孝行の初めであるというのが冒頭のことわざですが、逆に最大の親不孝は何かというと、親より先に死んでしまうことで、これを逆縁と言います。

 病気などで仕方のないこともありますが、不慮の事故などで突然に子供を亡くした親の悲しみは如何ばかりか量り知ることはできません。

 それなのに自ら命を絶つ若い人達が大勢います。

 生き死には自分だけの問題ではなく、回りの者を悲しませるということを理解していない人間が自殺するのだと思います。

 これはあくまでも私の個人的意見ですが、年間3万人にも及ぶという自殺者が減らない理由は、このように自らの体をキズつけるのを個人の趣味という事で済ませているのと無関係ではないように思います。

 自分の取っている行動が、まわりから見て一段低く評価されてしまう状況を自ら作り、自分自身の価値を下げているだけでなく、その事によって悲しませる人がいるかもしれないという事に気付くべきではないでしょうか。


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