雰囲気には流されずに


体罰について


不幸な事件から学ぶべきこと


 先日、ニュースで報道された、高校で教師による体罰が原因で生徒が自殺するという痛ましい事件がありました。マスコミは一斉に教員を責めたて、学校、教育委員会はその対応に追われていました。

 毎日新しい情報が報道され、いろいろな事実が明らかになっている最中ですから、以下の文章には誤解している部分もあると思います。人によっては私の意見に納得できない人も多いかもしれませんが、すべての文責は私にあることをまず確認しておきます。


 日本は法律で学校での体罰は禁止されています。この点に於いて、この教師は法律違反を犯しているのですから弁解はできません。

 葬儀の場へ弔問に訪れたこの教師に対し、母親は遺体の腫れあがった顔を示して、「これは体罰ではないんですか?」と問い質したそうです。そして、その教師もそれを認めたように、これは明らかな体罰でしょう。

 このような体罰が許されてよいわけありませんが、問題はこの教師のみにあるのではありません。その状況を許し、認めてきた回りの環境にも大きな問題があります。

 それだけ頻繁に生徒を叩いていたとしたら、周りの先生方はもちろん校長や教頭の管理職も気付いていないはずありません。
 それをいわば野放しにしてきたのは、その先生のおかげでバスケット部が全国大会へ出ているという実績によって評価していたからです。

 だいたい最近では先生の転勤ペースが早まっており、大阪府は4年で強制移動(転勤)の対象となります。たとえ大阪市ではあっても、その先生は1992年からずっと同じ高校で指導してきたという事ですから、なんと19年も転勤せずに続けていたという事になります。
 同じ環境の中で成果を上げて評価されていると、そこでの世界しか知らなくなり、世間一般の常識から離れていってしまうことがあります。

 つまり、体罰を与えても全国大会へ出るという結果を出していれば問題ないと考えてしまったのでしょう。

 実際、それがまかり通っていたようです。校長、教頭なども体罰があることを知らなかったわけはなく、実績と比較して目をつぶっていたのに違いありません。そして、それは更にその上の教育委員会にも通ってしまっていたから長年転勤せずに同じ学校で続けてこられたのでしょう。
 昔はその学校にずっと昔からいる名物先生みたいな人もいたのですが、今ではそのようなことは許されない状況になっています。
 ですから、その意味では、責められるのはその教師だけでなく、体罰のあることを知っていたその学校の先生全員に責任がありますし、教育委員会も同様です。

 更に言えば、その親にも責はあり、何より本人にも原因があったと言うと憤慨する人も多いでしょうか。
 しかし、自ら生命を絶つといった最悪の結果を招いた原因の一つとして、本人、そして親は、そうならないようにするべきであったのは間違いないことです。

 新聞によると、親は顧問から殴られることがあるのを生徒本人から聞いて知っていたとのことです。
 なぜそこで校長へ申し立てるなどの措置を取らなかったのでしょう。

 それは息子が選んだクラブで主将を任されているのだし、頑張って全国大会で活躍してもらいたいという思いもあって黙っていたのではないでしょうか。

 本人も命を絶つくらいなら、バスケ部を辞めるという選択肢もあったはずです。

 事件の起こったS高校は体育科を持ち、バスケット部は公立ながら何度もインターハイへ出場する強豪校として知られています。
 その生徒はS高校のバスケ部の厳しさを知りながらもそこに入るのを決めたのでしょうし、一年生の時から体罰的な事が行われているのを知った上でそのクラブを続けていたのです。
 事件後に行われた部員へのアンケートでも、8割以上の部員が体罰を自らも受けたとか、見聞きしたと答えています。

 私が注目したいのは残り2割の生徒です。これほどの体罰が日常的に行われていたとすれば、同じクラブで活動していて知らないわけありません。

 事実を調べるアンケートですからあった事を正直に答えるのが当然なのですが、なぜこの生徒たちは口をつぐんでいるのでしょうか。

 「話すと仕返しが恐いから黙っているのだ」と思う人が多いかもしれませんが、きっとそれは違います。もっと大きな理由が他にあります。

 体罰の事実を何も述べない生徒はこの先生を庇っているのです。それは可哀そうだからではなく、この先生がいなくなると自分たちが困ると思っているからでしょう。

 この先生はクラブでの指導力が買われ、実際に成果を上げています。生徒からすればこの先生についていけば全国大会へ出られるという思いもあり、自分の夢を叶える為には、少しくらいどつかれても我慢しようという気持ちがあったのでしょう。
 実際、卒業生の中には、その厳しさのおかげで今の自分があると思っている生徒も多いそうです。卒業後になって初めて殴られていた理由が理解できるようになったとも言っています。

 自殺した少年の心の内は警察関係も動いて捜査中の事でもあり、何より本人が永遠に口を閉ざしているのですから、想像の域を超えることはできません。しかし、殴られるのがイヤなだけで自殺したのではないと思います。

 少年は主将を任されるくらいですから、能力もあり、期待されるところも大きかった分、顧問から厳しく責められることも多かったのでしょう。
 そしてその期待に応えられない思いから、自殺という最悪の結果を選んでしまったのではないでしょうか。
 生前に「自分が主将を降りると周りの部員に迷惑が掛かる」と漏らしていたそうです。しかし、他の部員に迷惑が掛かるからと言って主将を降りることができなかった者が、死を選んだことで周りにどれほどの迷惑を掛けるかという事に思いが至らなかったのでしょうか。
 気にしていた友達にも、顧問の先生や学校にも、そして何より親に対してどれほどの悲しみを与えるのかを。

 私は、今回のような体罰を肯定するのではありませんが、世間一般で言われる「体罰禁止」の解釈については非常に違和感を持っています。
 別の項でも述べていますが、言葉で言ってわからない段階の者へ物事を教えるのに、力を使うのは当たり前のことです。そして、それは圧倒的に力の違いを見せることでやっていいことと悪いことをわからせるためのものです。

 ヒステリックに何でもかんでも「体罰禁止」という言葉で、一括りにしてはいけません。まだ成長段階にある子供には、力づくで良いことと悪いことを知らしめることが必要だと思います。

 もちろん今回の事件について言えば、生徒が自殺するという結果から見ても先生の体罰が度を超えていたという事に間違いはないでしょう。

 私も子供の道場生を預かっていますが、あまりに気合の入っていない態度で稽古していたり、危険な事をしていた場合にはガツンとゲンコツを喰らわせたり、蹴りが飛ぶ時もあります。
 空手道場ですから、保護者も「気ィ抜いてたらシバいたってください。」という方も多く、そのあたりには理解がありますが、もちろんそれは子供を良い方向に成長させるためのものです。

 いくら厳しくしてくれと言っても、「死ぬまで殴ってもいいです。」なんて事はあるはずないのです。

 今回の事件も生徒が自殺しなければ、単に厳しい指導というだけのものだったのかもしれません。けれど、結果的には子供が死を選ぶという結末を招いているわけですから、行き過ぎていたのに違いありません。

 その行き過ぎに気付けなかった顧問の先生自身の責任は免れませんが、周りにいた他の先生方や教育委員会は同罪の意識を持ってもらいたいと思います。

 また、そこまで追い込まれていたのを一番側で見ていた同級生たちや、親も同じです。

 そして何よりも自らの命を絶つことでその苦しみから逃れようとした本人の意識の低さが今回の悲劇を招いています。

 強くなってください。まずは自分が強くなることです。それは耐えるだけの強さでなくていいのです。その状況から離れる勇気を持ってほしいと思います。

死んでしまうと全てはそこで終了です。
 イジメなどで死んでしまった事件で、「真相が知りたい」と言って親が裁判したりすることがよくありますが、それで真相がわかったとしても死んだ子供は帰ってこないのです。そんなことより子供が死なずに元気でいてくれる方がいいに決まっています。

 自殺する人には、死んだら楽だ、などというのは絶対に間違っているのだと気付いて欲しいと思います。


 しかし、不愉快なのがH市長の発言です。
「これはイジメによる自殺よりも問題ですよ。」と、教育委員会が機能していないからこんな問題が出たと言わんばかりのコメントをTVでしていました。

 確かに、教育委員会が素晴らしく機能しているとは言い難いですが、個人的にどう思っているかは別として、市長は行政のトップですから、本来は外部に対しては頭を下げて回らねばならない立場にいる筈です。それをこの時とばかりに責める側に回って、自らの主張を通すのに利用するかのような発言は、聞いていて本当にイヤな気分になります。

 遊び半分でイジメているのと、良くしようと思って指導が行き過ぎているのとを較べること自体がナンセンスです。もちろん結果的に子供の死に繋がっていることは許されることではありませんが、イジメの方が問題が少ないような発言は絶対におかしいと思います。

 自殺後に行った生徒へのアンケートでは「早くクラブがしたい」などの言葉があったそうです。H市長はそれに対して「冷静になって考えて欲しい」などと言っていますが、世間の雰囲気で「体罰は一切なくすのが最優先だ」という意見に流されてしまっているのは大人の方であって、実際の現場にいる子供たちの正直な気持ちはそちらの方にあるのだと思います。

 しかし、多くの人はああいう発言を聞いて溜飲を下げて、市長への評価を高めているんでしょうね。

 何が本物かを見極める力を持つという事は本当に大事だと改めて思っています。


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