立場をわきまえる


「人」としての上下とは別
 最近は何でも平等平等で、学校の教師と生徒であっても「同じ人間」なんだから、なぜ生徒が教師を呼び捨てにしてはいけないんだ、などと言う輩がいます。
 教師が生徒を呼び捨てにするのだから、生徒が教師を呼び捨てにして何が悪いと言うのです。だから教師も生徒を呼ぶ時には「さん」付けで呼ぶべきだ、などと言うバカな識者もいたりします。
 教師が自分から生徒を「さん付け」で呼ぶのを否定するものではありませんが、絶対そうするべきだなどと言われると、それは違うんじゃないかと言いたくなります。

 人間として平等であるという事と、立場をわきまえて相手に接するということの違いが理解できないのでしょう。

 人としての尊厳に上下はありませんが、立場には違いがあり、そこに上下関係が生じるというのは社会生活を送る中では避けられないことです。

 教師には敬語を使いなさいというと、「あんなセンコーなんか敬っていない。だから敬語なんて使わない。」と言う奴がいます。「立場の違い」という事が理解できないのです。

 たとえ個人的にはその人が尊敬できない人であっても、「生徒」の立場で「教師」という立場の人に対しては敬語を用いなければならないものです。こんな生徒の親に限って、「生徒が尊敬するように先生が努力すべきでしょ!」などと言ってたりします。親がそんなんだから子供も同じようになるのです。

 教師側が努力して自らを高めるのと、「生徒」が「教師」に敬語を使うというのは別次元の話です。

 年長者を敬いなさいというのに理由はいりません。早く生まれたというだけで「年上」という立場にいるからです。
 早く生まれたからエラいのではなく、「年上」という立場にいるから、その立場に対して適切な態度を取りなさいと言っているのです。

 社会の中では人それぞれが置かれた「立場」によって取るべき行動、発言の仕方というものがあります。それは規則で決められているものではなく、その社会の「常識」に従ったものになるでしょう。

 その中でたとえ個人的に納得できない事、言いたいことがあったとしても、立場をわきまえて行動、発言することが必要です。

 そういった「常識」が理解できない相手には何を言っても無駄かもしれません。

 そういった人とは住む世界が違うのですから、そんな人間とは関わりを持たないのが一番です。だから、そのことがわかっている人はそんな人から離れていきます。そして、自分では気付かないまま、回りから人がいなくなってしまうことになるのです。
 そうならないようにするためのトレーニングとして空手を習う中で道場内での上下関係を学び、先輩や年上の人、先生に対する言葉遣いや態度を身に着けていってほしいものです。


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