向き不向き2
向き、不向き
と
好き嫌い
人には向き、不向きというものがあります。そして、個人の好き嫌いがこれに関係してきます。
どんなに好きな事であっても「向いていない」事はありますし、「好きじゃない」「どっちかというと嫌い」なことでもやらせてみるととてもうまくできることがあります。
「好きこそものの上手なれ」ということわざもありますが、「好きな」奴が一生懸命努力すれば「上手」になるのはいわば当たり前です。
もちろん、向いていなくても繰り返し練習することである程度のレベルにはなりますが、そこに至るまでに掛かる時間と、更に上にいけるかの境目は「向いている」かどうかです。
例えば、スポーツと読書。
体を動かす方が向いている人と、静かに本を読んでいるのが向いている人。この「向き」が合っている人がそれを続ければ、スポーツは上達し、読書による知識量は増えていくでしょう。
また、運動能力が高い人でも野球よりサッカーが好きな人もいれば、読書家でも国語より数学が好きな人がいます。
そして、それぞれ「向いていない」ことは上達するのに時間が掛かります。
ならば向いていないことはやらない方がよいのでしょうか。
そんなことはありません。向いていなくても、ヘタでも、好きならばやればいいのです。たとえ上達が遅くてもそれをやることで自分に充実感があり、少しの上達にでもそこに意義を見出せるなら、それだけでやる意味があるというものです。
では空手について見てみるとどうでしょうか。
空手も身体能力を使うものですから運動の苦手な人にとっては「向いていない」ものかもしれません。けれど、武道の持つ雰囲気や型の美しさに惹かれる人はいます。そんな人が私もやってみたいと空手に取り組むのは素晴らしい事だと思います。空手を行なうことで集中力が高まったり、精神的に向上していくことができるからです。
では、「向いていない」し、「好きでもない」なら空手をしない方がいいのでしょうか。
「スポーツ」として取り組むだけならやらなくていいでしょう。
けれど世の中にはやらなくてもいいけれど、やった方がいい事というものがあります。単なるスポーツとしてなら嫌いで向いていないことをする必要はありませんが、武道の観点から護身を考えた場合、身を守る武術として空手を習っておくことは生きていく上で必要な事ではないでしょうか。
普段は平和な日常に生活していても通り魔のような無差別殺人はしょっちゅう起きていますし、理不尽な言い掛かりで人に危害を加える輩に絡まれる危険は誰にでもあります。
その時に自分を守る術(すべ)を知っておくことは誰にとっても役に立つことです。
ただし、ちょっとかじったくらいで悪者を制圧なんてことはできるものではありません。あくまで襲われたりした場合に対処法を知っておくという事が大切なんです。
「向き」「不向き」で、やる、やらないを判断することが必要な時もありますし、「好き」「嫌い」という基準で決めるのも、理由として間違っているものではありません。最終的に「やる」か「やらない」かを決めるのは本人の意志だと思います。
けれど、願わくば多くの人が空手の良さに気付き、実際に取り組んでもらいたいと思っています。