武道としての大会


ステージキラキラ?


武道の試合は見世物ではない
 全日本大会と言えば秋が多いのですが春に体重別の全日本大会を開いたりすることもあり、いつやってもいいとは思います。しかし、全日本大会としての中身についてはよく吟味するべきだと思います。

 全空連が先ごろ全日本大会の新しい種別としてとして「全日本団体形選手権」を開催しはじめたようです。

 全国の空手を稽古している人たちの目標となる大会が、新しい種目としてできるのは悪いことだとは思いませんが、その大会自体が武道から離れているのでは本末転倒ではないでしょうか。

 選手のコメントに「気分が上がっていい経験をさせてもらった」とあるように、大勢の注目を浴びた舞台で形を行なうことは選手にとってとても良い修行の場となることでしょう。

 しかし、その「場」が問題なのです。

 開催される場所イベントホールで、写真を見ると舞台の上で観客席に向かって形を披露しています。フェンシングの全日本大会の舞台演出を取り入れ、「観客を意識したプレゼンテーションに挑戦する」コンセプトらしいんですが、全空連のお偉いさん方は「武道」がこれでいいと思っているんでしょうか。

 これが「演武会」ならいいんです。けれど、「全日本大会」として普段の稽古の成果を試す場としてはふさわしいとは言えません。
 この違いに違和感を持たない人が空手界には増えてきているようです。

 「演武会」は空手がどんなものかを一般の人に見てもらうためのものですが、「大会」は武道の修行の一環として行なわれるものであり「見世物」ではありません。

 だいたいこの場合、「正面」はどちらに設定されているのでしょうか。武道の大会では正面に国旗が掲げられているのが普通ですが、写真を見る限り舞台上に国旗は掲揚されていません。
 竹の装飾や光の演出の邪魔になるから外した?そもそも初めから揚げていないのか、それともホールの入り口側に掲揚されているのか。いずれにしても「武道」としてはおかしなことです。
 このスタイルはステージ上で観客に向かって行なわれている形になりますから、観客側が正面という扱いになります。

 繰り返しになりますがこれが演武会ならば別に問題ないのです。観客に向かって礼をして形を始めて当然なんです。「観てもらうために」やっているんですから。

 けれど大会は普段の稽古の成果を他の競技者と試し合うのが目的で、だから「試合」なんです。試合は武道としての空手を修行する一手段に過ぎず、最終目的は正しい「道」を目指すことなんですから、観客に見せるのが目的の演武会と混同してはいけません。

 そんな細かい事に拘るなんて気にしすぎだ、選手は大勢の前で形を打つことで「気合アゲアゲ」になるんだからいいじゃないかと思われる方もいるかもしれませんが、それで損をするのは武道のつもりでやっていて、実は武道になっていない空手をやらされている選手たちだと思います。

 武道の「全日本大会」で国旗を競技の邪魔になるから外すなんてあり得ませんし、ホールの入り口側に掲揚しているとしたら、選手はそちらを正面として礼をし、形を演じているのだという設定になるのかもしれませんが、その間に観客席が入っているのがおかしいです。そもそも入り口側が正面になることはあり得ません。
 武道としての正面に対する感覚が希薄なんでしょう。(→「慇懃無礼」)

 これが演武会だったら問題ないのです。国旗の掲揚がなくても、正面がどちら向きでも、設定さえされていなくても構わないでしょう。
 演武会と武道修行の大会とを同じレベルで考えているからこのようなことが起きるのです。

 そんな事は気にせずにやればいいじゃないかと言われる方も多いかもしれませんが、これを個人や小さな団体がやっているのではなくて、全日本空手道連盟という日本の空手を代表する組織がやっていることが問題なのです。

 大会である以上勝ち負けがあり、優勝するのが目的となるのですが、大会は空手修行の一環として行なわれるべきものであり、優勝することが究極の目的ではありません。そこが「スポーツ」との違いです。大会に参加する時には「スポーツ」としてルールに則って競技するべきものですが、あくまでも「武道」の中の一面に過ぎないという事を忘れてはいけません。

 東京オリンピックで空手が採用されたのは日本開催だったからに過ぎず、次回のパリで外されてしまったのは、ある意味当然の結果でしょう。他の競技と較べてルールが世界的に納得の得られるものとなっていないからです。

 新聞記事は白黒なのでわかりにくいですが、どうやら帯も競技用の青帯、赤帯を締めているようです。対抗で同時演武ならまだわかるのですが、単独で型を打つ時に帯を変える必要はないでしょう。ここにも黒帯を重視しない(= 武道性を重視しない)全空連の姿勢が表れています。(→「赤帯青帯」)

 組手競技においてもテコンドーとの明確な違いを特色として見い出せず、特に形競技においては一番重要な基準がわかりにく過ぎます。そういったルール上の重要な点をなおざりにしたまま、「観客アピール」に力を入れているようでは空手競技に未来はありません。
 というより、「スポーツ」としてのオリンピック参加を潔く諦めて、本来の「武道」としての普及を図ることの方が国際的には求められているのではないでしょうか。
 関係各所の自覚と善処に期待しています。


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