親の責任


躾け


その子の一生を左右する
 躾けというとどのような事をイメージされるでしょうか。

 まずは挨拶。立ったり座ったりしている時の姿勢や会話する時の態度食事のマナーもそうですし、言葉遣い場に応じた服装をするというのも躾けの範囲でしょう。
 こんな場面でこういうことをしてはいけないとか、しなければならないなど「人前での所作」にその人が受けてきた躾けが表れます。

 コンビニの前でたむろして食べたお菓子の袋をそのあたりにポイ捨てして平気な若者。幼児が電車の中で好き放題に遊び、窓の外を見るのにシートに靴のまま座り、隣の人に当たっても気にしない。そしてその親も!
 こういった電車内での態度にもその人がキチンと躾けられたかどうかが顕著に表れています。

 最近ではスポーツなどで左利きの方が有利な場面が多かったりするので、無理やり右を使うように矯正したりすることはほとんどありませんが、日本語の文字(漢字はもちろんひらがなも)は右手で書くのを前提に作られているものですし、剣道の構えなどは左利きは存在しない前提で構築されているものです。
 (近年のスポーツとしての剣道ではこのあたりをどのように指導されているのかは寡聞にして知りません)

 そこまで厳しく言わなくても、箸やペンの持ち方などは左手で持つ際にも正しく持たなければキチンとした躾を受けていないのだと見做されてしまいます。

 それを「食べられたらいい」「書ければ問題ない」などと言って正しく教えない親が増えているようですが、そんな躾けだからろくな大人に育たないのです。

 人が見ていないとしても、社会の中で生きている上でやってはいけない事マナー違反な行為など、躾けにはとても広い範囲の行動が含まれています。

 家庭教育としての躾けは子供の時だけでなく一生付いて回ります。時間には遅れないとか、約束は守りましょうなども、根本のところは躾けがベースにあるのだと思います。躾けを身に着けることは一生役に立つことなのですから、生涯を通じて役に立つ事は無理やりにでも教え込まなければなりません。興味が向いたらとか、大人になったら自然とできるようになる、などという問題ではないのです。

 躾を身に着けるという事は、社会の中で生きていく上でのマナーとなるべきものを自然とできるようになることです。そして、その躾をするのは養育者、基本的には親が行なうものです。昔はおじいちゃん、おばあちゃんが一緒に生活しているところも多く、躾けも厳しくされたという話はいくらでもあったのですが、今は核家族が主流で、祖父母はたまに会う孫に気に入られるため、子供に厳しく叱るようなことはしなくなっています。親しか躾を行なうものがいないのに、きちんと躾のできない親が増えています。

 なぜ若い親に躾のできない人が増えているのでしょうか。

 それは自分がきちんと躾を受けてこなかったからです。躾というものがどんなものかを理解していない奴が虐待しているのを「しつけのつもりだった」と言って、死なせてしまった子の裁判で言い訳したりしていますが、暴力は躾けではありません。かといって力を行使することがすべて暴力なのではありません。躾けには言葉で言って理解できない者に力で強制的に従わせなければならない時もあるからです。その違いをしっかり理解した上で躾けをしなければいけません。

 躾に名を借りた暴力によって幼い子供の命が奪われたりしたこともあって、力を用いた躾は一切必要ないんだという論調が最近幅を利かせていますが、子供の躾は基本的には犬の躾と同じです。

 子育てと犬の躾を一緒にするなと憤慨される方もおられるかもしれませんが、まだ言葉による理解が不十分な子供は動物的だということを忘れているのでしょう。例えば、犬を躾ける時に、言葉だけで言って聞かせるなんて絶対に無理ですが、体罰で叩いてばかりでも、犬は恐怖で怯えるだけで教えたかった事を覚えることはありません。しっかり理解させる事と力を使って強制的に覚えることのバランスが重要なのです。

 躾のできていない犬が多いのは、飼い主がキチンと躾をしていないからです。犬だから仕方ないのではありません。してはいけないことをした時には叩いてでもそれに気付かせるべきですし、ダメな事はとにかくダメなんだと覚えさせなければいけないのです。

 そして、それは子供を躾ける時も同じなのです。

 例えば、敬語を使えない若者が増えています。誰に対してもタメ口で話す芸能人がこれからの時代はそれでいいんだ、などと言われたりしていますが、それで通して大丈夫なのは特別な能力を持った人であって、一般人がそれでいいわけありません。きちんとプライベートとパブリックな場面での言葉遣いを変えるのは身分が高い人でも必要とされることです。

 敬語は上下関係を表すものです。誤解を恐れずに言えば、立場が上の者が下の者に対してぞんざいな言葉遣いをしても許容されるものです。しかし、だからといって上の者がエラそうに下の者にしゃっべっていいものではありません。

 ちょっと極端な例ですが、日本で一番権威が高いのは天皇陛下だというのに異論はないでしょう。つまり上下関係という意味では、天皇陛下は日本国内で自分以外のすべての人に敬語なんか使わなくてもかまわないと言えるのですが、天皇陛下でさえ公けの場でぞんざいな言葉遣いをされることはありません。天皇が一般の人と会話する場面ではとても丁寧な言葉遣いをなされていて、「おい、お前!」などという言葉が発せられることなどないのです。

 天皇陛下はいわば生活のすべてが「公的」で、パブリックな状態と言っていいものです。
 公的な立場で発言する時には立場が上の者であってもぞんざいな発言をするべきではないという事を天皇陛下が示してくれています。天皇陛下よりはるかに低い立場の者が、多くの人がいる公の場では誰であろうとぞんざいな発言をしていいわけないのです。

 天皇陛下でさえなされない事をあなたがするのが許されるわけないのだというのは理解してもらえるでしょうか。

 そんなことを知らない(わかっていない)幼い者に教えてやるのが「教育」で、それは「知っていた方がいい」レベルのものではなく、「知っておかなければならない」ものです。それを身に着けさせるのが「躾け」なのです。

 「三つ子の魂百まで」と言いますが、幼い頃に身に着けたことは一生忘れません。3才までに公けの場で取るべき基本的態度を強制的にでも教え込み、義務教育の間にそれを理屈の上でも理解できるようにしておくべきです。

 もちろん道場でもその指導を行なってはいきますが、週に1度や2度、数時間の稽古の中ではとても充分に指導できません。普段の生活の中で身に着けておかなければならない部分が多いので、子供をスポイルしないためにも道場で指導した内容を親御さんが積極的にご家庭でも指導していって頂ければと思っています。


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