「しごき」について


医科学的知識の必要性
 毎日新聞に興味深い記事が載っていたので紹介したいと思います。

「しごき根絶へ医科学教育を」スポーツ内科医・賀来正俊 (2007.11.4 毎日新聞)

 相撲界で起きた新弟子急死事件を話の皮切りとして、医者の立場から「しごき」について述べ、指導者のあり方にまで言及されている文章です。

 「しごき」という言葉の使い方において、やや一面的な見方があることを除いては、我々指導者にとって非常に参考となる有意義な内容です。

 まず、「しごき」という言葉の使い方ですが、執筆者の賀来先生は「しごき = いじめ」という認識に立ち、しごきとは、
「心身ともに回復能力を超えた選手に対する、受け入れがたい無責任な暴力的行為」
だと定義して、「しごきは無能な指導者の証し」とまで言い切っています。

 辞書を引くと、「しごく」とは「一方を握り締めたまま、もう一方を引き抜くようにして手前に引くこと、転じて厳しく訓練すること」とあります。
 濡れたタオルをしごいて水を搾り出すイメージ的から、選手から汗を流し尽くさせるような厳しい練習を課すことを「しごく」と言い、その行為を「しごき」と言っているわけです。
 つまり、「しごく」というのは「厳しい練習を課す」ことであり、「しごき」とは単に「厳しい練習」指すものだと言えます。
 ですから、指導者が「あいつをしごいてやろう」と言うのは、いじめてやろうという意味で使っているとは限らず、選手が「しごかれてうまくなりました。」と言う場合にはよい意味で使われているわけです。

 以上のことから単純に「しごき」という言葉を使ってその行為全てを否定するのはよくありません。

 また悪い意味で使われる(今回の記事の中で使われている意味での)「しごき」にしてもその内容が、いじめに等しい「しごき」と、選手の能力を上げようとしているが無知による意味のない「しごき」は別物だと思います。

 「しごき」とはあくまでも厳しい「練習」であり、冒頭の相撲界での事件のようなものは「しごきの名を借りた、『いじめ』という暴力行為」です。

 その違いをきちんと認識した上で、賀来先生の述べられている内容に耳を傾けてみたいと思います。

 競技スポーツの指導方法にスポーツ医科学の知識を取り入れるべきだというのが主旨ですが、このことについてはまったくの同感です。

 スポーツ界、その中でもとりわけ武道界では経験主義が横行しており、自分がこうやってきたから大丈夫だ、うまくなるはずだという練習方法やケガの治療方法が、蔓延していると言ってもいいくらい普通に行なわれている現状があります。

 ただ、しごきによって精神的に向上するということはありえます。
 「これだけつらい練習を乗り越えた」という自信が得られることです。普通に見れば考えられないような無茶な練習であっても、やり遂げることができたならば、それは立派な精神力強化方法だと言えます。
 しかし、指導者として知っておかなくてはならないことは、肉体的限界レベルは個人差があるということです。
 Aという選手にとっては限界ギリギリで乗り越えられた練習であっても、Bという選手にとっては物理的に無理な場合があるということです。
 AにはできたのにBにできないというのは精神的に弱いからだ、と決め付けてしまう指導者が多すぎます。
 Aにとっては90%のことが、Bには100%の限界ギリギリということがあるからです。
 その選手個人の差をキチンと見ないで、Bが練習についてこれないのは精神的に弱いからだ決め付けるのは間違っています。

 難しいのは、精神的限界と肉体的限界とは等しいものではなく、本人の意識の上では先に精神的限界に達するということです。
 本人の自覚だけでの限界、すなわち精神的限界で練習をストップすれば、いつまでたってももう一つ上のレベルには到達できません。そこに指導者が必要とされる理由があるのです。
 精神的限界を突破させて、さらに厳しい練習をさせることによって肉体的限界に近づくことができ、それによって肉体的限界がさらに上がっていくのです。

 外からの強制無しに自分でこの精神的限界を突破するのは非常に難しいことです。それができるのは限られた一部の人間にしかできません。
山篭りで修行して、悟りを得るとまではいかなくても、一人で上達できる人間はそれだけで「天才」だと言っていいと思います。

 初級、中級の間は自分ひとりの練習でも上達していきます。(というより自主トレ無くして上達はありません)
 ところが上のレベルに近づけば近づくほど、自分ひとりでは限界まで追い込むことが難しくなってきます。
 だからオリンピックに出るような選手にも皆コーチが付いているのです。
 練習は選手が主体なのは当然なのですが、「一般常識」に基づいた練習だけでは上のレベルには入っていけないものです。
 だからそこに「しごき」と呼ばれる練習が必要とされてくるのです。

 けれども指導者に医科学的知識がないと、自分の経験だけに基づいた指導で選手に無理をさせてしまいます。A選手にとっては90%まで頑張れる内容をBに課して、肉体的限界を超えさせてしまうところに問題があるのです。

 そのことを認識せず、選手に無理をさせて、自分のしごきについてこれない選手を「あいつは根性が足りなかった」と切り捨てることで、自分の指導力の無さをごまかしている指導者がとても多いように思います。
 指導者に医科学的知識は必須です。そして、その知識があった上で自分の経験を生かして指導するべきです。

 記事にはわかりやすい一つの基準が書いてありました。  また、正しい理論に沿った強化練習終了後には、2週間以内に必ず効果が現れるとのことです。

以上はとてもわかりやすく、非常にすぐれた判断基準になると思います。

 「しごき」はトップレベルのアスリートを目指すには必要なことですが、その限界を見極めることのできる指導者でないと、上達しないだけでなく事故につながります。

 一般レベルのスポーツを指導するプロの組織は、たいていは安全管理について非常に気を使っていますが、プロレベルの選手を指導するコーチや、逆にアマチュアの指導者に安全管理を軽視した指導がよく見受けられます。

 特にトップクラスの選手の指導には、技術レベルを上げることに加えて精神的にも強くなることが求められます。
 そのため、その指導者の個人的経験による指導が重視されるため、医科学的な知識の修得については二の次に考えられています。しかし、トップレベルであるがゆえに、選手を限界まで引っ張って指導することが求められるので、肉体的限界を見極めることのできない指導者についた場合、大きな事故になってしまうことがあります。
 ただ、トッププロやオリンピックレベルの選手にこのような事故を聞くことが少ないのは、選手個人の持っている身体能力がとてつもなく高いので、一般的に見れば無茶な練習であっても乗り越えることができてしまうということにあります。

 トップクラスの練習であって、選手がそれを乗り越えているのだから別にいいではないかと思われるかもしれませんが、トップレベルの選手をアマチュアの選手がマネしたがることを考えると、そのスポーツをリードしていく選手にはみんなの手本となるべき練習方法を取ってもらいたいものです。

 アマチュアの指導者は、その競技が好きであっても系統立った指導法を学んでいることが少なく、表面的な技術レベルを上げることのみを優先している場合が多くあります。その結果プロでもないのに勝ちにこだわり、目先の上達を追いかけてしまいます。そして無意味な練習を選手に課すことで、逆に上達に時間が掛かったり、ケガにつながってしまうことが多くあります。

 選手の側はこういった特徴をきちんと把握し、安全に上達する指導者を探すべきであるし、指導者の側は常に研修を重ね、医科学的知識の向上に努めていくべきです。

 ただし、プロ、アマを問わず、精神的に向上するところまで指導できるかどうかは、指導者の個人的な資質に負うところが大きいように思います。


 以上、表面上は賀来先生の記事に反論する形を取ってはいますが、それは語句の使い方の違いによるものであり、指導者に医科学的知識が必須であることを求める点において、内容的には同じをことを言っているのだということを、再度ここに確認しておきます。


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