コントロール感


自らの意志で稽古する
「稽古わァ、 自分のためにするもんだろーっ?」

「強くなりたいんだろ?」

私の師範はよくこの言葉で道場生にハッパを掛けていました。

これだけ聞いていると本人の自主性を尊重して、自ら稽古するのを見守るタイプのように思われるかもしれません。

しかし、次の言葉が続きます。

「だったら、俺の言う通りやれよ!」

空手の実力はもちろんのこと、指導に於いても素晴らしい結果を残してきた師範の言葉です。その通りやれば強くなるのに決まっているんですが、ついつい自分のやり方でやってみたくなるものです。

もちろんロボットのように言われたままやっているだけでは
本当の意味で強くはなれません。
自ら主体的に稽古していかなければ、何も身に付いていきません。

それに師範の指導は、実はとてもオーソドックスなもので
手品みたいに変わった方法で、いきなり強くなるなんてものはありませんでした。

当たり前のことをコツコツ、です。

ところが自分もある程度うまくなってくると、ここはもうちょっとこうした方がいいんじゃないか、とか、このやり方の方が合理的だ、などと思えてきたりするものです。
そこで、ついつい自分のやり方で稽古していて、師範の指示から外れてしまうことがあるのです。
そして、師範から上の言葉で怒られてしまうのです。

しかし、師範が言う「俺の言う通りやれ」というのは、いろんな工夫をするなという事ではありません。

コツコツと繰り返さなければならないことを、手を抜いて一足飛びにうまくなろうとするな、という事なんです。

昔ながらの何の変哲もない稽古を続けていると、もっと早くうまくなれる方法があるんじゃないかと思えてくるものなんですよね。

確かに、人によっては稽古法にも合うものと合わないものがあったりします。それは個人の特性というもので、自分に適した方法というのは確かにあると思います。しかし、 本当に実力を付けてくれるのは

同じ技の繰り返し

です。

それをやらずにてっとり早くうまくなろうとしても、結局は遠回りになってしまうものです。
だから「俺の言う通りやれ」となるわけなんですが、単に「言われて、やらされている」と感じてしまうとヤル気が削がれてしまうものです。

だから師範はまず、「稽古は自分のためにやる」という事を再確認させていたのです。

自分が強くなるために、苦しいけれど頑張っているんだ。

この意識があれば、師範の言われた通りにやっていたとしても、自分の意志で頑張っているという自主性は失われません。

東洋大学社会学部教授の今井芳昭氏が人を動かす秘訣として次のように述べています。

「人間にとって最も重要な感覚の一つはコントロール感である」

誰かに露骨に説得されたときには、自分が自発的に動いているというコントロール感がなくなり、不快に感じる。だから、自発的に動いている(自分で自分をコントロールしている)と感じてもらえばよいのだそうです。

ですから、師範の指導は理に適ったやり方でもあったわけです。

ここで自分の心をコントロールするというのは、ピンチになった時に冷静さを失わないといったことだけでなく、自分の意志で稽古をしているという主体性を持ち続けることで、自ら強くなっていくという事なのです。

武道の世界はどうしても上下関係がありますから、指導される = やらされている、と感じてしまうことが多いかもしれません。しかし、その上下関係そのものを、自分が上達するため自らが選んでいるのだ、と考えることができれば、上達は飛躍的に伸びるでしょう。そういった意味でのコントロール感を身に付けるというのも、武道の目的の一つだと言ってよいと思います。

自分が強くなるために、敢えて厳しい環境に身を置いているということが、自らを精神的に強くするのだと思います。


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