心の訓練


精神修行


怒りを抑える

 修行というのは、何も身体的に激しく厳しいことを行なうだけではありません。
 精神的な修行こそが究極的には求めなければならないものだと思います。
(最初からそれだけを目的にするのは、空手として正しいと思いませんが)

 現代では怒りを抑えるということができなくなっているように思います。
 本当に怒らなくてはいけない大きなことからは目を逸らして見ないフリをしているのに、どうでもいい小さなことで「キレて」大騒ぎしているヤツをよく見かけます。

 特に、自分より下の立場にいると思っている相手に対して、エラそうに自分の鬱憤を晴らしているような奴を見ると、「・・でしまえ!」と思ってしまいます。(← 私もまだまだ修行が足りないですね)

 コンビニなどで店員を土下座させて、それを写真に撮ってインターネット上に公開して悦に入っているようなヤツにはヘドが出ます

 店員は「仕事」で仕方なく相手の対応をしているにも関わらず、「客」の立場にいる自分の方がエラいと勘違いしているのです。

 そこには相手を「人」として尊重する態度は微塵も感じられません。人に対してそんな態度をとるヤツが他の人から尊重されるわけなく、相手からは表面上へりくだった態度を見せられて、心の中で蔑まれているのです。

 自分で自分の価値を下げ、人からバカにされるようなことをしているのに気付くこともできないのでしょう。

 そんなことにも気付けないバカはほっといて、我々は多少のことで腹を立てないように努力しなくてはいけません。

 『論語』で言うところの「恕(じょ)」という考え方で、キチンとした大人は他人を許す心のゆとりを持たなくてはいけないという事です。

 けれど、これにはある程度の「慣れ」も必要になってくるんじゃないかと思います。具体的に言うとエラそうに言われる経験を積んでおくということでしょうか。

 当然ですが、道場に入会してすぐは立場が一番下なので、自分より年下の者からいろいろと指示されたり、教えてもらったりすることがあります。とにかく一番下の立場ですから名前を呼び捨てにされても、命令口調で言われても、「押忍」の一言で耐えるしかありません。
 もちろん上級者の物の言い方に問題がある場合には、それはそれで指導しなければなりません。道場内もあくまで社会の中の一部分だということを忘れて、「ウチの道場」のやり方だけを押し通そうとしても世の中で通用することではないからです。

 とにかく、そうやって誰もが下積みの時代を経て上級者に上がっていくのですから、下の者の気持ちは、少し昔を思い出したらわかってやることができるはずです。

 ところが上の立場が長くなるとついつい昔の事は忘れてしまって、自分がたまたまその場所では上にいるのに過ぎないということを忘れ、それが当たり前になってしまう事があります。

私の知ってる空手の先生方には謙虚な人が多いですが、たまーに傲慢になっている人を見掛けます。けれど、そんな人とは少しずつ間を置いていきますから、自然と疎遠になっていきます。 だから、自分では気付けないのでしょうね。

 ここに一つの新聞記事があります。(毎日新聞)
 空手の師範が起こした暴力事件という事で、ネット上でも少し話題になった事件です。救急車を呼んだのにすぐに来ないからと、消防本部に乗り込み、出動しようとしていた救急隊員を殴ったというのです。
 本人にも言い分はあるのかもしれませんが、職務遂行中の救急隊員向かって暴力をふるうなど、空手家でなくてもあってはならないことです。ましてや空手を専業にしている者が無抵抗の相手を殴るなど、言語道断です。

 私の道場にも救急隊に勤務している者がいますが、救急隊員は人命救助を使命に責任を持って仕事に当たっており、個人的に気に食わない対応をする者がいたとしても、消防本部が救急要請に対していい加減に対応している事はないはずです。来るのが遅くてイライラすることがあるかもしれませんが、救急隊員は懸命に努力してくれているのです。
 急病人を救急車に乗せた後、中々発車せず「早く病院に運べよ!」と思う事もありますが、それは受け入れ先を探して問い合わせしているのであって、けっして手を抜いてゆっくりしているわけではありません。
 もし、救急車の到着が遅かったとしても、必ず何かしらの理由があるのです。

 今回の事件を他のソースでもう少し詳しく見てみると、通報後2分で、自ら車を運転して体調不良の女性を乗せて消防本部に到着したとあります。救急車の到着が遅かったなどと言っているようですが、完全に許容範囲の時間内でしょう。
 体調不良の女性は、その後病院に搬送されて治療を受けたけれど、大きなケガなどはなく入院の必要もないということで、そのまま帰宅している程度のものだったそうです。

 この件では、自分のことを優先して行うのが当然という傲慢さが感じられます。更に、自分を特別扱いしない相手に対してのイラ立ちも込められているのでしょう。
 心肺停止の状態で一刻を争っていた、というのであれば、冷静さを失ってしまうのもわからないではありませんが、この男は病人を車に乗せておいたまま消防隊員に殴りかかっているのです。自分が運転できる車を持っており、病人の事が心配であれば、消防本部へ文句を言いに行くより、まずは病院へ連れて行くのを考えるのが先ではないでしょうか。
 それをせずに病人を車に置いたまま、消防隊員に殴りに行くというのは、病人の心配をしているというより、自分が救急車を呼んでいるのになぜすぐに来ないんだという、自分の感情を優先しているようにしか思えません。

 空手の世界では道場主という立場にいた事で、自分の言うこと、やる事が最優先されるのが当然、という感覚になっていたのではないでしょうか。

 救急隊員は、災害現場では文字通り「命を掛けて」救助に当たっており、普段からそのための激しいトレーニングを積んでいる人たちです。「死」というものに毎日直面しながら、覚悟を持って日々トレーニングしている者が、本気で戦えば相当の強さを発揮するであろう事は容易に想像できることです。
 それを黙って殴られている救急隊員のプロ意識に敬意を払うと共に、コンビニで店員に土下座させているバカタレと同じような事をしているのが、空手を指導している人間だという事に恥ずかしさを感じます

 回りは自分を持ち上げてくれるゴマすりばかりになっている事に気付かず、自分がエラいとカン違いしてしまったのでしょう。

 私は付いていた先生がすごい人だったこともあって、空手の世界では粗雑に扱われることは余りありません。(無いとは言いませんが・・・)
 道場でもトップの立場にいますから、エラそうに言われることはまず無いのですが、空手とは別の場で、社会的に見れば立場が下の者や、ずっと年下からエラそうに言われたり、ナメた態度を取られたりする場に敢えて身を置き心の修行を積んでいます

 もちろん、まだまだ修行の身の上ですから、腹が立ったり、怒って怒鳴ったりということもありますが、これも修行の一環と気を引き締めて辛苦に耐え、乗り越えていくように頑張っています。

 みなさんも相手の方が間違いなくオカシイとわかっている時でも、それを心の修行と考え、怒りを爆発させずに耐える(若しくは受け流す)努力をしてみてはいかがでしょうか。そうすれば世の中で起きるトラブルの多くは未然に防げるのではないかと思います。


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