単にうまいだけでなく


プロの仕事


早く、確実に

 やらなければいけない仕事を早く仕上げる。時間を掛けて遅いのは「プロ」の仕事ではありません

 ここで言う「プロ」とは行なった仕事に対して報酬を得るという意味での「プロ」です。やった仕事(若しくは成果)が素人のやったものとレベルが違うのは当然ですが、中にはプロの作ったものと遜色ないレベルの物を作り上げる素人がいます。
 よくこれを「プロレベル」とか「素人ハダシの出来だ」と言うのですが、対価を得るプロと素人の大きな違いは、実はやった仕事の出来栄えだけではありません。その仕事をやり遂げるのに掛けた時間が重要なのです。

 一般に、素人がプロレベルの作品を作り上げるのには厖大な時間を掛けている事が多いものです。

 それに対して「プロ」は一つの成果物を仕上げるまでに「締め切り」が設定されます。その時間内(期限内)までに完成させなければ「プロ」として報酬を得ることが出来ません。

・決められた時間内
一定レベル以上のモノを
コンスタントに仕上げる

 この三つに安定した力を発揮できるのが「プロ」なのです。

 「プロ」として収入を得るということは、そこにお金を支払う人がいるわけで、その人にとってそれだけの価値があるものを提供しなければなりません。

 日本の現代社会においてお金の価値の基準は何なのかわかるでしょうか。
 もちろん人によって様々に変わるかもしれませんが、一般に通用する共通理解で言えば、お金はそこに費やした時間に換算されるものです。
 だからアルバイトで働く時の時給に最低賃金が決められているのです。

 費やした時間がお金に代わるのですから、仕事の上では遅刻が許されないのです。プライベートで友達を待たせても「ゴメン、ゴメン」と謝れば許してもらえていたものが、社会人となって働き出すと、遅刻して相手を待たせるということは、その時間分のお金を相手から奪っているのと同じなのです。

 同様に、30分で済ませられる仕事をあなたが1時間掛けてやっていたら、あなたがしている仕事の価値は半分だと言っていいでしょう。
 趣味でやっていることならいくら時間を掛けても「好きで」やっているのですから全く問題ありません。けれど、仕事としてやる時に、決められた時間内に終わらせられないのは「プロの仕事」ではないのです。

 例えば、美容師や理髪師の国家試験では、決められた時間内に指定の髪型が完成しなければ、絶対に合格できません。たとえ1分後にどんなに素晴らしいヘアスタイルが出来上がっても、それは「プロ」として認められないのです。

 自分で店を持って「あなたにCUTしてもらいたい!」という顧客が付けば、いくら時間を掛けても商売として成り立つかもしれませんが、よっぽど人並みはずれた能力(技能)を持っていなければ、それだけで生計を立てるのは容易ではないでしょう。同じ仕上がりならば2時間掛けてセットするよりも1時間で済む方を選ぶのが普通だからです。

 ところがこの「時間=お金」の感覚がない人がいます。
 遅刻して人を待たせても平気な人です。

 そんな人は仕事も時間を掛けてもキチンとできればいいんでしょ!」と思っています。
 当然、これはプロの仕事ではありません。それなのにそのやった成果だけに着目して対価を得たりすると、自分を「プロだ」と勘違いしています。
 お金を得ているという意味では、「プロ」と言えるかもしれませんが、時間を掛けて何とか仕上げてるだけならアルバイトと同じです。
 いえ、アルバイトの方が時給で働いている分、プロらしいかもしれません。

 その道の専門職という意味の「プロフェッショナル」と、それでお金を得る「プロ」がここでリンクするのです。

 「プロ」を名乗るのなら、アマチュアよりも良い仕事を短時間で仕上げて欲しいものです。

 私は電気の専門学校で講習を受けて、「低圧電気取扱者」という資格を取得し、家の壁の中の配線を触ってコンセントを交換したり、電気製品の修理もある程度までは自分でやります。
 とは言っても専門的な工事は万一の事故を考えると危なくてできないので、先日電気工事店をやっている友人にエアコン取り付け用コンセントの配線をお願いしました。

 壁に穴を空けるだけでなく、なるべく配線を目立たないようにと屋根裏に上がって壁と壁の隙間にコードを絶妙に通し、結線作業もテキパキと済ませてくれました。

 電気工事のことを全く知らなかったら「そんなもんか」で済んだかもしれませんが、自分でも屋根裏に上がって配線を覗いたことがあるので、それがどれほど大変なのかがよくわかるのです。
 スムーズな手さばきで配線を済ませる彼を見て
「プロだなぁ」
と本当に感心しました。
 私でも時間を掛けて取り組めばできないことはないかもしれませんが、やったとしたら恐らく丸二日は掛かっていた事でしょう。

「手早く、確実に」
 これがプロたる所以(ゆえん)だと思います。


 翻って、空手の世界を見てみると、お金を得るという「プロ」技術的な「プロフェッショナル」の区別が明確になされているとは言い難く、混同されているように思います。

 上で述べたように「プロの仕事は手早く、確実に」です。
ところが空手は武道ですから、一見、理不尽とも言える非効率に思える稽古が続きます。

 長い目で見ると、実はそういった同じに見える稽古の繰り返しが本当の実力を培うのですが、現代社会の風潮では、何でも「早く早く」になっています。早くうまくなりたいのは誰もが思うもので、それ自体は悪い事ではありませんが、それを最優先してしまうと、本当に大事な土台の部分が大きくならないのです。

 空手の「プロフェッショナル」は地味な鍛錬を繰り返す中で、地道に実力を養っていくやり方をするものですが、単なる「指導のプロ」は客(=道場生)の要求に応える稽古しかやらなくなってしまいます。つまり、「やってて楽しいものしかしない」のです。
 もはやそれは武道の「稽古」ではなく、「エクササイズ」と大差ないものです。
 エクササイズ的なやり方から入り、武道へと高める素晴らしい指導をされる先生もいますが、一般的にはこの二面を同時にこなすのはとても難しいでしょう。

 お金を得る意味での「プロ」でも、技術的な「プロフェッショナル」でも、道場生を指導して会費を集めていれば、習う側からすれば指導の「対価」として払っているのですから、会費が高くても安くても同じ内容を指導してもらいたいと思うものです。しかし、指導する側からすると道場の運営に必要最低限の費用しか徴収していないところは、本人が好きで教えているだけですから、一般のサービス業のような至れり尽くせりの手厚い対応はできないものです。

 それに対して、空手の指導を生活の生業として道場運営されている人は、自分の生活も掛かっているわけですから、道場生を集めて辞めないように気を使い、懇切丁寧な指導だけでなく、それに付随したイベント的な催しを開いていることも多いようです。
 もちろん、その分の会費が高くなるのは当然でしょう。

 どちらが良いとは一概に言えるものではなく、習う側のニーズに合っていれば、それはそれで問題ありません。
 ただし、これは対価を得る「プロ」としての話で、そこで指導される内容が「プロフェッショナル」なものかどうかは別の話です。

 「プロ」の教える空手が楽しく、いい汗をかけるものであれば素晴らしい事だと思います。けれど、空手はあくまでも「武道」でなければいけません。
 「プロ」の教える空手がエクササイズでは本末転倒だと言わざるを得ません。「簡単に」「早く」黒帯が取れるとか、「痛い思いはしません」なんていう空手をやっているところは絶対に「プロフェッショナル」な空手ではないと断言していいと思います。

 一見、時間が掛かってもコツコツ同じことを繰り返し、痛い思いやつらい事も乗り越えて稽古を継続することが必要です。そして、それが確実にうまくなる方法なのです。
 多少、時間が掛かり同じ事の繰り返しが多いように感じても、できれば「本物の空手」を学んで欲しいものだと思います。


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