新聞に目を通していて
この記事に目が止まった時、
「また相撲界で暴力か!?」と気色ばんだのですが、記事の内容をよく読んでください。
これは暴力でしょうか。
運営側であり、いわば
裏方である呼び出しが、巡業会場で
客席に座って昼飯を食べていたというのです。それを見た
呼び出し最高位の拓郎が叱りつけ、
ゲンコツを一発見舞った・・・
もちろん、これが何発も殴り続けたり、負傷して病院へ行くようなものだったのなら
「暴力」とされても仕方ないでしょう。しかし、呼び出し最高位にいる立場からすれば、これは
厳しく指導しなければならないレベルの事柄だったのだと思います。
細かい経緯や具体的な詳しい状況がどうだったのかは、この短い記事からはわかりませんが、ここに載せられていることから判断すれば、少なくとも
上司が部下を注意したという範囲で収まるものではないでしょうか。
「相手も大人なんだから言葉で言えば済むではないか!」と体罰反対派の人は言うかもしれません。そして、これが
普通の会社でサラリーマンが起こしたことなら、
そういう意見も正しいと思います。
しかし、これは
「相撲」という伝統芸能の中で行われている指導です。時代によって伝統を継承する方法に変遷はあったとしても、
ゲンコツを一発喰らわすレベルの厳しさはあってもいいのではないでしょうか。本来、
「相撲は神事」であり、そこに「民主的な指導」は馴染まないと思います。
日本武道館による種目分けには相撲も
「武道」に入れられています。「大相撲」が興行として運営されているのは事実ですが、その基本的思想に
「武道」としての厳しさを持つことは理解しておくべきでしょう。
少なくとも、この呼び出し最高位の拓郎はそういう意識を持ち、観客席でのうのうと食事をしていた序二段呼び出しを叱責してゲンコツを一発喰らわせた。そして傍にいた幕下呼び出しに対しても、
「それを見ていてなぜ注意しないのか」と叱責したのに過ぎないのです。
これに対しては、叱られた側も当たり前として受け止めていたのではないでしょうか。もし、そういう気持ちを持てないのなら、
大相撲の呼び出しなんて辞めた方がいいと思います。
今回、この件がどういう経緯で上層部に上がり、処分が下されることになったのかは書かれていませんが、観客席での叱責ということですから、おそらく、それを見た観客の誰かが
「また相撲協会で暴力が!」と通報したのではないでしょうか。
そうだとすれば、正に
「大きなお世話」です。
より大きな問題は
協会がそれを元に2場所の
出場停止処分にしたことです。
相撲協会からすれば、
力士による暴力事件が頻発し、社会的にも厳しい目が向けられていることから、
一罰百戒的に処分せざるを得なかったということもあるかもしれません。
しかし、一番の原因は、巡業の開催中に裏方である
呼び出しが、
観客が座る客席で弁当を食べているという所にあり、
それに対して指導がなされたにすぎません。
新聞では
「暴力行為」という表現がなされていますが、これは「暴力」ではなく、指導のための
「体罰」です。
最近は「体罰はすべて許されない」といった風潮がありますが、
体罰と暴力は明らかに別物だと私は考えます。
体罰とは、間違っていることを身を以てわからせるための
「罰」であり、改善を目指した指導のためのものです。
言葉だけですべての指導ができて、
言われた方が理解できると思うのは机上の空論で、
能天気と言ってもいいでしょう。
戸塚ヨットスクールで有名な戸塚 宏 氏は次のように言っています。
「体罰は進歩を目的とした有形力の行使」だと。
戸塚ヨットスクールで行われていたことがすべて正しいとは言えませんが、少なくとも単なる
「イジメ」の暴力とは区別するべきです。
もちろん、
学校教育の場では体罰は禁止と法律で決められていますから、体罰自体が認められないというのは当然です。
しかし、個人的意見で言えば、だから学校現場の教育力が下がってきているのだと思うのですが、それはさておき、
体罰と暴力は明確に異なる物です。
立呼び出しの拓郎は、協会に
「迷惑を掛けた」と謝罪したようですが、それは今回の問題で
協会が対応せざるを得なくなった事に対してであり、序二段呼び出しにゲンコツを喰らわせ、幕下呼び出しの背中をはたいたことを
「暴力でした」と
認めているわけではないと思います。
協会の処分内容が停職2場所というものにも関わらず、退職願を提出したというのは
矜持の表れであり、平たく言えば、
「やってられない」というものではないでしょうか。
こうした
「厳しい指導」をしてくれる人に対し、こんな処分を下す相撲協会は貴重な人材を失ったと言えるでしょう。
一般の人から見れば一見
「暴力」に見えるものであっても、当人からしっかりと事情を聞き、それが指導の範囲で収まるものであるならば、身内を守る姿勢を見せないと
現場で頑張っている者は報われません。
今回、協会が取るべき姿勢は立呼び出し拓郎を守る事ではなかったでしょうか。
指導の名を借りた「暴力」体質は一掃するべきですが、
何でもかんでも「暴力」扱いして、きちんと指導している人をスケーブゴートにするべきではありません。
「間違っていることは間違っている」と言うのは大切なことですが、それ以上に
「正しいことを正しい」とハッキリ主張することも、とても重要なことだと思います。