量の稽古


身体で覚える


何度も繰り返し
 これまで技術を覚えて上達するというのは、医学的に言えば同じ動作を繰り返す事で脳が筋肉に指令を出す神経回路にショートカットが作られるなどして、意識して身体を動かすよりも早くスムーズに動作ができることだと説明されてきました。

 つまり、身体が覚えるというのは、繰り返すことで脳から流れる命令の神経回路がパターンを覚えるという事なのです。
 それに対して、「反射」というのは体の受けた刺激が脳に行く前に反応して身体が動くことで、医学的には脊髄まで届いた神経伝達信号が、脳まで行かずにすぐに運動器に筋肉を動かす指令を出すもので、膝の脚気検査なんかが有名ですね。

 ここではそういう医学的なものではなくて、「反射的に」などと使うのは慣れ親しんだ動きは意識しなくてもスムーズにできるという意味で使っています。しかし、意識せずに動けるようになることも含め、脳が全身の動きに指令を出しているというのはほとんどの人が理解していると思います。

 もちろんそれは科学的に立証された正しい事なのですが、少し興味深い新聞記事を見つけました。

 繰り返す事で脳からの指令がスムーズに流れるようになるというだけでなく、「体」自体が記憶を持ち、「体が覚えている」というのが、比喩ではなく、本当にそうなのだという可能性が科学的にも証明できるかもしれないというのです。

 脳梗塞などを起こすと半身がマヒしたりして動かなくなりますが、そういうものとは別で、体が覚えるというのは脳に蓄積された記憶だけではないということもあるのだそうです。

 最近ではyoutubeなどの動画で一流選手の動きを見て新しい技やコンビネーションをたくさん「頭で」覚え、その「知っている」レパートリーが多いほど上達して強くなったと考える人が多いようです。

 しかし、理屈だけを覚えてもダメなんです。やり方を知っても繰り返しやることが大切で、一番大切なことは、自分の持ち技を「体が覚える」まで繰り返し稽古することです。

 特にセンスのある者ほど、ちょっとやったら「できるようになる技」が多いので、いろんなことをやりたくなるのですが、「使える技」「身に着いた技」=「体が覚えた技」です。
 「できるようになった技」であっても、まだそれは「体が覚えた技」になっていません。体で技を覚えるには「稽古、稽古」です。

 意味のない、役に立たない稽古をいくらやっても上達しませんが、その稽古に「意味がない」と本人が思っていても、指導者がその稽古を指示しているならば、何かしら意図を持ってやらせているはずです。

 自分の考えだけで、やる稽古、やらない稽古を判断できるなら指導者に就いている必要はありません。独立して道場を立ち上げ、自分のやり方で稽古してたらいいんです。

 指導に従うかどうかを判断するのは自分ですが、その先生に就くと自分で決めたのなら、その指導の中に一つや二つ納得できない部分があったとしても、とりあえず従ってやってみるのです。やっていく中でその稽古の意味を考え、理解していくことが上達に繋がります。

 上達していく段階は次のようなものになります。

@技(技術)を知る。(知識)

A技を覚える(できるようになる)(習得)

B対人相手でその技を使える(相手に合わせて意識して変化させられる)

C無意識にその技が出る(勝手に身体が動く)

 @はまだファンやTVの視聴者の段階で、実際にその種目に取り組み、技を行うのがAの実践者のレベルです。

 武道や格闘技を習っている人の8割くらいはこの段階ではないでしょうか。(あくまでも私が持っているイメージです)

 TV番組などで自分の編み出した技を使えば簡単に相手を倒せるなどと言って出てきて、実際にプロの格闘家相手に試してコテンパンにやられたりする人がいてますが、A→Bへ進めるのには膨大な稽古量が必要になることに気付いていないのでしょう。

 そして、ある程度技が使えるようになり、試合に出るレベルになっても、B→Cのレベルに上がるためにはさらにその何倍もの稽古量が必要になってきます。
 そして技が自在に使えるようになるには精神状態の影響が大きく、いわゆる「ゾーンに入った」状態がCになると思います。

 名人、達人と呼ばれる人は意識的にゾーンに入ることのできる人です。そういう人達は瞑想などの精神修養を重視した修行を行なっている事が多いのですが、そのレベルに至るまでには厖大な実践を伴った稽古を経ているのです。それを飛ばして精神修行だけやったって強くなれるわけありません。まだ上記のAで足踏みしている我々はBに上がれるように量の稽古を積むべきです。

 コツコツと頑張って稽古を続けましょう。


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