武道を続けることと


親のサポート


子供が上達するために
 空手を指導する側と親の立場が違うのは仕方ないのかもしれませんが、どちらもその子の人生に空手を活かせるようにと思っているのに違いはないと思います。

 ただ、空手に掛ける意欲・労力が大きい子ほどそこから得られるものも大きくなるのは当然ですし、「この程度」でやっている子供にとっては、「その程度」の成果しか上がらないのは仕方ないでしょう。
 教える側からすれば非常にもったいない気がします。

 「水場へ牛を連れて行くことはできるが、その水を飲むかどうかは牛次第である。」

 この言葉は極真会館の創始者、故 大山倍達総裁が喩え話としてよく使っておられたもので、いくらこちらが強く(うまく)なれる稽古を用意していても、当の本人がそれをやらなければ上達するはずありません。

 大人の場合は正にその通りで、与えてもらった状況をいかに活用していくかは本人の努力次第です。

 けれど、これが子供の場合には本人の努力だけではなく、その親がそこで与えられた状況をどのように判断するかに掛かってきます。
 本人の意欲が第一なのは当然ですが、子供がモチベーションを上げるのには親のサポートが絶対に必要となります。

 子供は判断力がまだ未熟なので、親が替わりに判断してやる事は大切です。上の喩えで言えば、水飲み場の水が腐っていることがあるかもしれません。
 そんな水を飲んではいけないと遠ざけてやるのは親の責任と言えるでしょう。ところが、その度が過ぎると、こっちの水は濁っているとか、あっちの水の方がおいしそうだとか、色々と牛(子供)を連れ回し、挙句の果てに手製の栄養ドリンクを作って飲ませたりするようなことになるワケです。

 その良し悪しは時と場合により変わってくると思いますが、指導者からすると用意した水を飲ませないと親が判断した場合には、それ以上どうしようもありません。本来その子にとって何がベストなのかは結果がすぐに出るものではないのですが、最近は結果が出ないとすぐに「効果が無い」と判断してしまう親御さんが多いようです。

 また、3月から4月へと年度が替わる時期はいつもそうですが、特に、上の学校へ上がる時に辞めていく子供が多いのはとても残念です。

 子供がその年齢になるまでの「楽しみ」としてしかやって(やらせて)いないのでしょうが、武道は向き、不向きを越えて一生を通して稽古する価値があるものです。空手を武道として捉え、人生に役立つものだ考える大人の方が長続きする理由がそこにあるように思います。

 しかし、その判断を子供自身にしろというのは無理な話で、そこに親のサポートが必要になってくるんです。
 けれど、もし空手以外にやりたいことが見つかったりしたのなら、そちらを中心に頑張ってみるのも、それはそれでいいことだと思います。空手であっても他の事であっても、人生を豊かにするものを自分で見つけたのならば、それはとても価値のあることかもしれません。

 しかし、他の事と並行して空手を続けても空手の持つ価値が減少するものではありません。少しずつでも稽古を続ければ、子供にとって必ず有意義なものがあると思います。

 多くの習い事を並行している子にとっては、時間的にもどれかを取捨選択しなければならなくなりますが、親御さんには目先の楽しさを追いかけるだけでなく、将来に亘って人格形成に役立つ「武道」に子供を取り組ませて欲しいものです。

 そして、道場で稽古している時間はとても短いものですから、家で自主トレしている子と、全く何もせずに次の稽古日を迎える子とでは上達のスピードが変わってきます。

 やはりその面においても親のサポートは重要なものです。
 家でキックミットを持ってやったり、サボりたくなった時に励ましたりしてやらなければ、子供のうちから自分の意志だけで厳しい稽古を継続していくのは難しいと思います。

 もちろん、体を使う武道ですから持って生まれた身体能力によって発揮できるパフォーマンスに大きな差が出ることがあります。
 これが競技としてみた場合には、いわゆる「向き不向き」といったことになるのですが、万一の時に危険が迫ったことから最低限の身を守る術(すべ)を身に付けておくことと、武道を修練する事によって得られる精神的な成長は、すべての子供に必要なものではないかと思います。

 子ども自身は目の前の上達しか見えないものですから、親のサポートで稽古を頑張れるようになり、武道から得られる利点をしっかりと身に付けられたら良いのにと思っています。


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