優しさの中身


鬼手仏心


本当の優しさとは
 最近は「優しい人」というのが流行りのようです。流行りと言うと少し語弊もありますが、男性が女性に対して求める条件としてだけでなく、女性が理想の男性に求める資質の上位にも「優しさ」が入っています。

 そのせいかどうかわかりませんが、男性に優しい人が増えたという印象があります。優しいのが悪いわけではありませんが、男としてちょっと頼りないな、と思われることもあるという声が女性からも出ているようです。

 ネットのインタビュー記事で西郷理恵子さんがエッセイストの前田恵美さんと対談した中で述べられていた事なんですが、優しさの中身が変わってきているのではないかと言うのです。以下に少し引用してみます。

「昔は、武士道を全うしているような、厳しい対応をするような男性も、すごく芯は優しいということがあったのではないかと思います。そのあたりの「優しさ」の認識がシフトしてきている。本当の優しさだったら、男らしさも同時に共存できるけれども、表面的な優しさというか、優しく脆いというか……。」

 まさしく的を射たコメントではないでしょうか。表面上の優しさしか目には見えないものですから、人当たりの良い柔和な態度こそが「優しさ」の現われだと思っている人も多いようです。

 やさしくしてくれる人は自分にとっていい人。だから小さい子供などは厳しく躾を言う親よりも、何でも言う事を聞いてくれるおじいちゃん、おばあちゃんが大好きなのです。

 けれど甘やかされてばかりの子がワガママになってしまうように、優しいだけでは相手にとってけっして良い結果を与えません。

 親は子供が憎くて厳しくしているのではなく、キチンとした大人になってもらいたいから厳しくしているのです。
 表面上の厳しさと、その裏にある相手の事を思い遣ったやさしさというものをキチンと理解しなければいけません。

 ところが小さい子供と同じ考え方で、「優しい人がいい〜〜」なんて言ってる人は、自分自身を向上させることができないでしょう。

 カップルだったら相手を受け止められるなら、それはそれで構わないかもしれませんが、相手の向上を考えるのであれば、優しくするばかりでなく、厳しくする必要もあることに気付くべきではないでしょうか。

 表題の「鬼手仏心」という言葉は、外科のお医者さんは手術をする時に体を切り開くので鬼のように残酷に見えるが、それは患者を救いたいという仏のような慈悲心に基づいているのだ、ということを述べたものです。そこから、厳しく相手に接するけれども、そうする裏には相手を慈しむ心があり、相手のためを思って行なっているのだ、という意味で使われる言葉なのです。

 たとえ今この場では相手に嫌な顔をされようと、本当に相手のためを思っているのなら、ここで厳しくしておかなければ、という場面が必ずあります。 それを、上辺は優しい顔をして、その場を「なぁなぁ」でゴマ化してしまうようになれば、相手にとっていいワケありません。

 相手に厳しくするという事は、自分にとっても厳しい道を選んでいる事になります。相手に嫌われるかもしれないという思いを乗り越え、相手の為に厳しい言葉を掛けてやるのは、相手の事を思っているからこそできることなのです。親が子供を厳しく叱る時には、親としての責任と、自分がその子の親としてこれだけ厳しくしても相手からは嫌われる事がないという信頼を得ている自信があって初めてできることなのです。

 おじいちゃん、おばあちゃんは孫に嫌われない事の方が重要ですが、親からするとたとえ子供が泣き叫んで嫌がったとしても正しい事をさせなければいけないのです。

 ところが今は、親でさえも子供に嫌われるのを避けて子供のご機嫌をとっているような人が増えてきました。
 だから、外でワガママ勝手な子供が増えてきているのでしょう。

 西郷理恵子さんの言う「本当の優しさ」が無くなってきているのではないでしょうか。

 厳しいからこそ、その裏には優しさがあるのだと思います。厳しい態度を取れないから表面上は優しさを出しているけれども、それは逃げの優しさなので本当に厳しい状況に陥った時には、その優しさは脆くも崩れ去ってしまうのです。

 前出の前田恵美さんは次のように言っています。

「涙を見せるのが男の恥だというのが昔あったのが、そういうんじゃなくて、いかに感動してるかを表現するような、もう、泣いても全然OKみたいな。そういう意味で日本の美徳が崩れてきていると思うんですけれど。」

 確かに泣く男が増えてきたように思います。そしてそれを受け入れる社会状況になってきているのでしょう。

 昔は、男が泣いていいのは自分の親が死んだ時だけなんて言ったものですが、今は試合で負けてエンエン泣いている子がよくいます。まぁ試合に負けた悔しさを持っているだけまだマシなんでしょうけど。

 けれど、その場で涙を流してスッキリしたで終わるのでは、泣くのを我慢してその悔しさを稽古で昇華し、次の試合では絶対に勝ってやろうとする負けじ魂というか、根性を持った子が減ってきました。
 試合で負けた後に泣いているのを見て、「ウチの子はやさしいから」なんて言っているようではいけません。その優しさは自分の弱さを隠しているのに過ぎないのです。

 空手に限らず、武道の指導をする人は「鬼手仏心」を心掛けて、強さに裏打ちされた「本当の優しさ」を持った強い大人になれるよう、厳しい指導をしていくべきではないでしょうか。


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