立場を知って


気が付く


人としての成長
 コロナの影響でいつも使っている体育館が使用できなくなった時に、別の場所を借りて稽古していた時期がありました。
 そこは床がラバータイルで張られていたのですが、残念ながらモップ等の掃除器具が備え付けられていませんでした。

 他の団体が集会などで使う時には土足で入っている部屋なので、一見きれいに見えても結構床は汚れています
 なので私が雑巾とバケツを持参し、稽古の時に全員で拭き掃除をしていました。私物なので置いておくこともできず、使用後の雑巾はバケツに放り込んで持って帰ります。

 稽古の後、大きなキックミットなどは道場生が車まで運んでくれるのですが、それまではバケツや雑巾などは持っていってなかったので道場生もそれに気付きません。建物出口から車までの距離もそれほど遠くないので、まぁ自分で運べばいいかとバケツを下げて歩いていると、「持ちます」と一人の道場生が声を掛けてきました。「ありがとう」と言って持ってもらったのですが、荷 物を運んでもらったそのことより、その道場生がそういったことに気付けるようになったのがうれしかったですね。

 気が付いても中々言い出せない者もいるかもしれませんが、それを言葉に出して行動に移せるかどうかが大きな違いなのです。

 まだ若い間はけっこういろいろとトラブルを起こし、苦労することも多かった奴なんですが、今は自分で始めた仕事が軌道に乗り、人を使うようにもなったので、上に立つ者の気持ちや下の立場の者がどういう行動を取らなければいけないのかが少しわかってきたのだと思います。

 人間的に成長したということでしょうか。

 こういったことは教えてもらわないとなかなか気付けないものなので、自分で気付いて行動に移せたことに余計感心しました。

 けれど、本来は上に立つ者が下の者にこういったことを教えなければいけません。自分でやった方が取っとり早いのですが、多少時間が掛かっても下の者にやらせて指導していくことが大切なんですよね。

 特に子供などには教えてやらないとできようになるはずがありません。稽古の前後に窓やカーテンを開けたり掃除をしたりなど、こちらでさっさとやった方が早いことであっても、子供にやらせてできるようになるのを待たなければいけません。

 これは一番上の者が直接教えてもいいのですが、先輩が後輩に自分が教わったことを伝えていくことで人として成長していけるのが武道です。

 空手の稽古を行う場所が「道場」と呼ばれるのは、単に技術の向上だけを目指すものではないからです。このように先輩が後輩を指導する中で技術だけを下の者に伝えるのではなく、こういったことも指導していくから空手が「武道」として人間形成に役立つのです。

 師範から黒帯、そして色帯へと順繰りに指導が伝わっていくことで先輩に対する感謝の念や尊敬の気持ちが生まれてきます。それによって先輩の指示に従うことが当然のこととなり、自分の立ち位置を知って行動できるようになっていくのです。そういった積み重ねによって小さい事柄にも気付ける意識を育て、回りに気が配れる人に成長していくことができるのです。

 また、先輩側からすると、指導するからには下の者にヘタな姿は見せられないという自覚を生むことになり、自分の稽古を厳しく見つめ直す機会となって自らの上達に繋がります。
 これが互いに切磋琢磨するということです。

 まぁ、なにより道場に来てしっかり汗を流して稽古するのが一番大事なんですけどね。


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