男なら?


泣く事について


泣くな!は厳しい?
 涙を流すというのは、精神医学的には心の奥底に沈んでいる鬱積した思いを吐き出す効果があって、それほど悪い事ではないそうです。これをカタルシス効果(浄化作用)といって、泣いた後にスッキリした気持ちになるというのは誰にでも経験があることでしょう。
 しかし、最近はあまりに簡単に泣く人が増えたように思います。年を取ると涙脆くなるというのは、豊富な人生経験があることで、可哀相な状況を見た時に自分の経験と重ね合わせて共感することができるようになるからです。だから、まだ人生経験の少ない子供は、人が泣いているのを見ても、なぜそれが悲しいのかがわからず、共感できないので「泣けない」のです。
 映画やドラマを観た時に共感して泣けるのは、「その気持ちがわかる」からであり、こういった時に流す涙は他人への「思いやりによる涙」です。

 しかし、最近よく見るのは「自分のため」に泣いている姿です。

 高校野球の甲子園で負けた選手が泣くのも「自分のための涙」ですが、それは激しくつらい練習を重ね、勝利を目指して頑張ったことが報われなかったことによる悔しさからです。それまでに賭けてきた情熱と努力が大きければ大きいほど、それがダメになった時には泣けるのです。

 ところが最近はそんなに長期間頑張ったわけでもないのに負けて泣く奴が多くなりました。
 一生懸命やったからこそ泣けるはずなのに、それほどやっていなくても泣くのは何故なのでしょうか。

 それは(試合で負けた)可哀相な自分が一生懸命に「やっていた」ような気になるからです。ナルシストと言ってもいいでしょう。

 ある大会で別の道場の先生と本部席に座っていた時のことです。小学生の部の決勝で負けてしまったその道場の子供が泣きながら試合結果の報告に来ました。
 普通なら「よく頑張ったけど残念だったな。また、次に向けて頑張ろうな。」と励ますところですが、その先生は「泣くほどやってないわ!」と、ピシャリと叱りつけました。「泣く資格無い!」と更に強く叱責していましたが、これはその子の実力を知っているからこそできることでしょう。

 普段ならもっと積極的に攻めることのできる子が、中途半端な攻撃しかできなかった事を叱っていたのです。
 もっと試合中に出せる力を持ちながら、それを出せなかった気持ちの部分を叱り、自分が全力を出さずに負けていたのに、それで涙を流して「負けた可哀相な自分」に浸っている、その気持ちがダメだと言っていたのです。

 その子がその気持ちの弱さを乗り越えれば、もっと強くなることを確信しているからこそできる厳しい指導です。決勝まで勝ち進むくらいですから、それだけの力は持っている子なのです。だから、更に上を目指した指導をされたのだと思います。

 初めに書いたように、最近は泣く事について世の中の許容範囲が広がってきているように思います。
 一昔前なら「男の子なら泣くな!」と子供に言っていたものですが、最近は男女平等が偏った形で広がっているので、そんな事を言えば「男女差別だ!」と糾弾されかねません。で、男女共に泣くなということにはならず、男性も女性と同じように泣いても構わないという方向になってきています。

 以前なら「男が泣いていいのは親が死んだ時だけ」なんて言ったものですが、今ではちょっとしたことでボロボロ泣く奴が多過ぎます。涙の大安売りで、涙の価値を下げているように思います。

 泣くのには「悲しい」場合と、「うれしい」若しくは「感動した」時に流す涙がありますが、どちらも回りの雰囲気につられてしまうところがあります。
 ところが、この「つられて泣く」が度を越すと、逆に回りの人が引いてしまうことになります。単に回りの雰囲気に流されているだけの場合があるのです。

 中国や韓国の葬式では「泣き女・泣き男」が雇われるそうです。儒教の教えで亡くなった個人に対して哀悼の意を表するために行なわれることで、しきたりのようなものです。けれどそうやって泣き声が響く中にいると自然と悲しい気持ちになっていゆき、より悲しみが感じられ涙を誘うのです。

 ある高校の卒業式の一コマです。卒業式などの旅立ちは新たな門出の儀式でもありますが、旅立ちは友との別れの時でもあって学校生活を振り返って感涙に咽び、悲しみと寂しさがない交ぜとなった涙を流す女子生徒の姿には同情の涙を誘われるものです。しかし、これが男子生徒だとちょっと情けなく思えてしまうのは男女差別になるのでしょうか。

 寂しさ、悲しみをぐっとこらえて涙の溢れるのを我慢する方が「男らしい」と私は感じます。
 確かに卒業式に泣く子は学校生活を頑張った子であり、一生懸命に取り組んだことが多いほど、その出来事を思い出して泣けてくるのです。だから学校で頑張った事がない子は卒業するに当たって、振り返って感動できる出来事がないので泣けません。

 卒業式で「泣ける」のは、そこに到るまでに頑張った子であり、そして、親はそこまで苦労して育てた我が子が、無事に卒業式を迎えられた事で泣けるのです。また、上級生の頑張りを側で見てきた下級生達も泣いている卒業生を見て、共感できるから「泣ける」のです。

 しかし、あまりに簡単に共感して、時には当事者よりも激しく泣いてしまう人がいます。感受性が強いと言えば聞こえはいいのですが、卒業式は「卒業生のためのもの」ですから、卒業生が泣くのは、たとえそれが男の子であっても許容範囲内かもしれません。しかし、それが男の「学校の先生」だったらあなたはどう思いますか。

 もちろん、親同様に卒業させるまで指導してきた苦労もあって感慨深く思うところはあるのかもしれませんが、男の先生が当の卒業生よりも声を挙げて号泣しているのを見ると、私はそれはちょっとどうなのかなと思ってしまいます。

 確かに卒業させるまでには、それこそ泣くほど苦労して手を掛けたのかもしれませんが、先生の立場には卒業生全員に対しての責任があります。1人でも笑顔で卒業していく生徒がいるならば、先生は泣くべきではありません。いえ、たとえ生徒全員が涙を流していたとしても先生は笑顔で送り出すべきでしょう。
 卒業式は生徒のものであって、先生のためのものではないのですから、先生が主役の生徒より号泣しているのは、手の掛かる生徒を卒業させた自分に酔っているだけではないでしょうか。
 教師たるもの、たとえ胸に迫るものがあったとしても、そこを我慢して笑顔で送り出してやって欲しいものです。

 けれど、大人の世界でもこのように自分に酔って泣く人がいるんですから、小学生に涙をこらえて前を向け、なんていうのを指導するのは難しい世の中になっているんですかねェ。


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