武道として
受けの無い空手
それでいいのか
大会を本部席で観戦しながら別の道場の先生と話をしていて
「最近の試合では受けが見られない」
という話になりました。
古来、「空手に先手なし」で、先に攻撃を仕掛けるのは空手の精神に反すると言われてきました。
だから、空手の型もすべて受け技から始まるのだなどと説明されたりしたものです。
このような伝統的空手界では半ば常識とされていた通説に対し、私の師範は「それはみだりに自分から争いを仕掛けてはいけないという精神的なことを言っているに過ぎない」と喝破しておられました。
実際の戦いになったら、まず攻めるところから始まるのであって、先手を取る事が重要なのだとよくおっしゃってました。
こういう点から考えると、今の大会における組手スタイルは理に適ったものであり、受け技よりもまずは攻撃というのもあながち間違ったものではないのかもしれません。
けれど、確かに効かない突き蹴りは受ける必要が無いというのも事実ですが、実際の戦いにおいては、まず自分の身の安全を確保するのが第一であり、致命傷をもらわないようにする為に受け技をマスターするのは空手として必須の事だと思います。
しかし、試合で勝つ事を優先して稽古した場合、受け技が後回しになるのは自然の成り行きでしょう。
そうなると、本来は自分の身を守り、護身の面を持つ武術である空手道として受け技を身に付けないというのはその存在意義が無くなってしまうことになります。
以前に書いたコラムで、「柔道がオリンピック入ったことでスポーツとしては大きく発展したが、武術的には後退しているのではないか」と書きましたが、投げられた時に受身の取れない(取らない?)柔道なんて、武道を名乗って欲しくないと私は思います。
同様に空手においても受けがキチンとできない黒帯なんて武道として意味がないと思います。
「攻撃は最大の防御なり」は対戦する上では真実ですが、それがすべてではいけません。受けを無視してとにかく攻撃し、取ったポイントの多い方が勝ちというのはスポーツとしてならそれでいいのかもしれませんが、武道として考えた場合には極めて不十分であり、空手としても不完全なものです。
空手を試合化した弊害と言えるでしょう。
更に、最近の大会では掴みや投げが禁止となり、突っ込んでくる相手を掌底で止めただけで「押し」として反則扱いされてしまいますから、大会で上位を狙う選手が受けの稽古を軽視してしまうのは仕方ないのかもしれません。
けれど、スポーツとして考えた場合にもワンマッチならともかく、多人数のトーナメントを勝ち上がっていくためには体にダメージを残さないようにするのが重要です。また、受け技を使って攻めることができれば、単純な攻撃技ばかりで攻めるより、よりレベルの高い攻防を行なう事ができます。
試合においても技の幅が広がり、競技レベルを上げることになりますし、武道としても身を守る必須技術である受け技をキチンとマスターする事は、空手を修行する上で忘れてはならないことだと思います。
大会ルールで勝つ為にはそのための稽古が必要ですが、それだけではいけません。
空手本来の技術を無視すれば、それはもはや「空手」ではなくなってしまいます。
オリンピック種目採用で競技としてしばらくは活況状態になるのかもしれませんが、そうなれば益々試合ルールのみでの空手になってしまうでしょう。
空手を習い始めた最初の段階では受け技よりも攻撃に主眼を置いて稽古するのは間違っていませんが、武道として空手道を稽古するならば受けをしっかりと身に付けて欲しいものです。