基本に対する考え方

基本と組手の関係
組手の中から一つ一つの技の要素を抜き出し、強く、正しく極められるように稽古する為のものが基本である。

運動能力が高くて、「素質」があると言われる者、いわゆる「カン」の良い者はいろんな相手とガンガン組手をやっていく中で自然と技の動きを身に付けていき、いわば「勝手にうまく」なっていくものである。 ※1参照

しかし、ある程度のレベルに達した時、次の段階へ上るのに足踏みしてしまうようになることが多く、その時になって初めて基本の必要性を感じる者が多い。
「基本」は素質のない者でも確実に上達できるようになる為の階段のようなものである。
上のレベルに行けばいくほど素質だけで上達していくのは難しくなる。
何度もチャンピオンになったりした人間ほど基本の重要性を口にするようになるのはそのためである。そして素質のある者が上達した後に更に上のレベルに上がる為に必要であるばかりでなく、素質の無い者が最初のところから上達していくのに基本は重要である。

空手はトップレベルの素質のある者だけのものではなく、万人に開かれた武道として存在してこそ意味がある。

誰もが努力をすれば初段として黒帯を締めることのできる程度の技術レベルには到達できるものであるし、またそうでなくてはならない。
流派によっては
「ウチでは何百人の中で数名しか黒帯になれません」
などと自慢げに吹聴している指導者がたまにいるが、自流の指導理論の低さと指導者のレベルの低さを暴露しているようなものである。何百人もいたらその内の何名かは運動能力の高い者が含まれていて当たり前であるし、そんなヤツはどこの道場に行っていたとしても強くなっているものなのである。

空手は、単に他人との比較でその価値が決まるものではない。自分自身の中で、どれくらい上達したのかを実感できるようになり、そのことによって自分に自信を持つことができたのならば、社会の中で空手という武道に存在価値があると言えるのである。その為にも「基本」は誰にとっても基礎として使えるものでなくてはならないのである。そして、その基礎の積み上げがあった上に「組手」という応用で使えるものでなくてはならないのである。

※1 大きな組織の中に所属する利点はそこにある。たくさんの「量の稽古」をこなせば、誰でもある程度まで「勝手」にうまくなる。しかし、それは人間が元々持っている能力であり、単に状況に適応しているだけである。
一つの「コツ」を知っていれば簡単にできるようになる事を何百回、何千回と繰り返して身に付けるというのも、達成感はあるかもしれないが余りにも効率が悪い。又、「素質」のある者は多くの練習相手がいる中で勝手にうまくなった事により、「あの道場で教えてもらったことは特別になかった。俺は自分一人で強くなった。」と言って独立していく者もいる。多くの練習相手がいる「道場という場」を与えてもらっていたという事に気が付かないのであろう。

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