マスターズ大会


出場資格とレベル
 本来の意味でのマスターズはその字の如く、その種目を「マスター」している者の大会という意味です。
 一番有名なものはアメリカのオーガスタで行われるゴルフのマスターズ選手権で、世界中から名手のみを招待して開催され、ゴルフ界最高峰の大会とされています。

 そういったハイレベルの大会という意味だったものが、高い技術をマスターするのには年月が掛かることから、年齢が一定以上の中高年のための大会マスターズと称して、いろいろな種目で試合が開かれるようになっています。

 空手でも最近はマスターズと呼ばれる大会が行われるようになってきました。中高年になってから空手を始めた人や、若い人と一緒になって一般の大会に出るのが体力的にはちょっとしんどいという人でも、試合という場を体験できるようにと設定されているものです。
 年齢的に若者と競うのが難しくても、試合という場に挑戦しようという姿勢に、いわば敬意を表して「マスターズ」という名を冠しているのです。

 だいたい、本来の意味でマスターズとして行われているのはゴルフのマスターズ選手権くらいなもので、その他のマスターズ大会はそれほどレベルの高くない中高年のための大会として設定されているものがほとんどです。
 本来の意味でのマスターズがゴルフでしか見られないのは、ゴルフは精神的(メンタル)技術的(テクニック)要素の占める割合が大きいのに対して、他のスポーツでは肉体的要素(フィジカル面)の優劣が勝敗を決してしまうことが多いからです。

 空手の大会に於いても、マスターズクラスは単に中高年のための大会として設定されています。けっしてゴルフのマスターズのようなハイレベルの選手権ではありません。
 ですから、たとえ年齢的に出場条件を満たしていたとしても、一般部の大会で活躍できるような選手マスターズにエントリーすべきものではありません。

 それならば、マスターズではあってもハイレベルの選手ばかりが集まって行うのならば、一般大会レベルの力を持つ選手が出て構わないのでしょうか。

 確かにマスターズであっても一般部と遜色のない選手は多いですし、そんな選手ばかりが集まって覇を競うのもよいかもしれません。
 しかし、当然ながらそんな「マスターズ大会」だと、中高年になってから空手を始めた人には敷居が高くてとても出場できるものではありません。

 その試合のレベルに達していないのなら、出られないのは当たり前だと思うかもしれませんが、そうなると中高年になって空手を始めた人から試合に出るチャンスを奪ってしまうことになります。

要は何のために空手をしているのかということです。

 空手における目標を、試合に勝つことだけに置くととにかくそれが優先になり、本来の空手道としての修行、求道の面が忘れ去られてしまうことになります。

 ハイレベルな試合を競いたいのなら一般部の試合に出ればよいのです。

 試合はあくまでも空手の中の一部分のみにルールを絞って競い合うものです。その絞られた部分は体力的な要素が大きく、試合のルールは若者向きに設定されていると言えるものです。
 空手本来の護身、武術的な考えで言えば、一撃で相手を制することのできる技術や急所を攻める方法を学ぶことの方が重要です。

 稽古を続けていくモチベーションを維持するための方法として、また自分の修得した技術が実際にどれくらい通用するのかを試す場として、試合があるのです。
 稽古のために試合をしていると言ってもいいようなものです。ですから、ケガにつながる危険な技は使わないように試合のルールが決められています。

 一発で勝負が決まるような危険な技は除き、決められた時間の中で勝負を付けるというルールですから、運動能力の高い若者に有利な形でルールが作られているのです。
 ですから、そのルールの中で派手な技や運動能力に頼った技などが評価されるというのは、ある意味当然と言えます。
若くて体が動く人に合わせたルールになっているからです。
 若い間は大会に合わせたルールの中で、勝ちを目指して稽古に励むことが、空手本来の稽古にもなっているのですが、年令が上がって体が若いころのように動かなくなってきたら稽古する内容も変わってきて当然です。
 試合という枠に縛られずに、空手をもっと大きく捉えることが必要です。

 けれど「試合に出て勝つのが全てだ」と考える人にとっては、試合に出ないと空手をしている意味が無くなるのです。

 上にも書きましたが、マスターズは若者と同じ条件で試合をするのには体力的にしんどいが、稽古に目的を持たせたいということから行われているものです。
 それならレベルの高い中高年がトップを目指す大会があってもいいんじゃないかと思われるかもしれません。シニアの大会としてマスターズクラスは必要だという意見も勿論あります。
 空手に於いてもハイレベルなマスターズがあってもよいと思う人もいるでしょうし、ゴルフでもオーガスタのようなトップレベルのものだけでなく、一定年令以上のマスターズトーナメントもありますが、当然ながらそれに出る選手は勝つことを目指してゲームをします。

けれど空手の場合試合に勝つことが全てではありません。

 空手でも、勝つために試合に出て何がおかしいんだ、と言う人もいるでしょう。もちろん試合に出るからには勝つために努力するということが必要です。そしてそれが空手本来の目的にも繋がっていくものですが、最終目的ではないのです。

 ところが、ゴルフはそうではありません。「ゴルフというゲームをすること自体」が目的だからです。だから年齢や性別、そして出場者のレベル自体にハンディキャップという差を付けることによって、皆が同じステージの上で勝つことを目指すスポーツとして楽しむことができるのです。

しかし空手はあくまで武道です。
 試合をすることが目的なのではありません。当然、試合に勝つことが目的になるはずもないのです。

 だからいつまでも試合に勝つということに拘った稽古をしていたのでは、そこで進歩が停滞してしまうのです。空手道という道の上で足踏みを続けているようなものです。踏み台昇降をしているようなもので、しんどいけれども前に進んではいないのです。

 しんどいことを頑張っているから修行になっているはずだ、と考えたくなる気持ちもわからないではないですが、単に肉体的にしんどいというレベルから一歩上に上がって、精神的にしんどいことを気持ちの上で克服しながら前に進んでいってほしいものです。


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