適性と必要性


審判の多数決制


その弊害

 最近は大会の数が増え、ほぼ毎週ごとに試合が開催されています。試合ごとにルールが微妙に異なっていたりはするのですが、フルコンタクトルールと呼ばれるものにはほぼ一定の共通理解のようなものがあります。

 ですから選手は他流派であってもいろんな大会へどんどん出ていくことができますし、審判員もその差異に注意していれば大過なくジャッジすることができます。
 けれど、これだけ試合の数が増えると同じ日に試合が重なることもあり、大会を運営する側の審判員の数が足りなくなってきます。

 以前は自流の大会には当然自分の道場から審判員を出していたのですが、規模の大きいものになるとフロアに何コートも試合場を設置し、同時に進行させていくわけですから膨大な数の審判員が必要になるため、最近は交流のある道場から審判ができる人間を派遣してもらって開催しているところが多くなりました。
 それでも予選の間は副審2名、主審1名の3審制で行なうことがほとんどです。

 3名の人間で判定を取っていかなくてはならないので、1人当たりの責任は重くなっているのですが、その中にはまだ審判に慣れていない若い指導員などが含まれていることも多くあります。
 経験豊かな審判でやってほしいというのは選手側からすると当然の要求ですが、誰でも最初から完璧な審判ができるわけないのですから、審判が場数をこなす場として小さい大会や予選の試合などで慣れていくのは必要なことでしょう。

 試合進行に慣れた者が主審を務め、副審を指導しながら試合を進めていき、副審はその技術を学んで上達していくというのが今までの審判育成の流れでした。

 ところが最近では審判育成を目的とし、ライセンスを発行したりしてある程度のレベルを保証しようという組織が作られています。
 (念のために言っておきますが、個別の団体を批判しているわけではありません)

 審判講習会などを開催し、レベルアップを図っていくのは空手界としても素晴らしい方向性だとは思うのですが、多数の流派の寄り合いということで、試合中に主審が副審を呼んで指導するということがやりにくくなっているように思います。(あくまでも私の主観です) 特に副審が現役時代に選手として活躍された選手だったりすると、主審に不慣れな人はその人の判定に引っ張られてしまうことがあります。

 本来は、判断が難しい場面が出た時には主審が副審を呼んで状況の説明をしたりすることで、副審にも試合を見る目が育っていくものなんですが、各個人が審判ライセンスを持っていることで副審の方にもプライドがあり変に自信を持って笛を吹いています。ですから主審も他流派のそんな審判を呼んで指導するのはやりにくいものなのです。

 自派の大会であればたいていの場合、主審は副審よりも道場内での立場の高い場合が多いので、疑問点があれば副審を呼んでの指導もしやすいのですが、各流派から派遣されている審判が混合で試合を受け持った場合、それぞれ各自が「審判ライセンス」を持っているということで平等であり、そのために主審からしても物が言いにくい状況となっています。

 例えば、ルールに書いてある通りに判定すれば、確かに「反則」と取れることではあっても、以前なら試合の流れから主審が「今のは別に反則を取らなくても・・・」と判断すれば、口頭注意を与えて続行させる場合が多かったのですが、副審の複数が笛を吹いて反則とすれば取らざるを得なくなっています。

 昔は判定時にも主審の権限が強く、多数の副審の判断を覆して延長戦にしたりすることがよく見られました。
 これはこれでスポーツとして試合を行っていることからすると大きな問題ではあるのですが、ここで私が問題としたいのは、判定時だけでなく、反則や技有りを取るのさえ主審を含む審判員全員の多数決となっていることです。

 かつては主審がその権限を以て、副審が「不十分」であっても「技有り」を取ったり、またその逆もあったのですが、最近の判定で特にひどいのは反則を取る基準です。明らかに顔面殴打の突きが入っていても、副審の多数が「認めない」や「見えない」の動作を取れば、間違いなく顔面にパンチが当たっていて、それを主審が見ていたとしても反則を取ることができないのです。

 これが審判の多数決制による弊害です。

 次の例は私がこの目で見た試合でのことです。

 予選で副審2名の3審制でした。試合の中で上段回し蹴りが完全に入りヘッドギアが揺れました。私の位置からだと技が入っているのが確認でき、同じ向きにいる副審1名が技有りを取りましたが、もう1名の副審が「見えない」のゼスチャーでした。主審が副審を呼んで確認しましたが、主審である自分も見えなかったので「見えない」2、「技あり」1だからその技は「取りません」との判定です。

 これは絶対におかしい判断でしょう。

 「見えない」が多数であっても、それは技が入ったのが「見えていない」だけなのだから、「見えている」審判が1名でもいるのならその判断を優先するべきではないでしょうか。

 3審制やミラー方式と呼ばれる2審制などで、死角による「見えない」場合があるのはどうしようもないことです。主審、副審ともに「見えない」のならば、その技を取ったり、反則にしたりするのが出来ないのは、試合というルールの中で行っている以上、仕方ないものでしょう。
 けれど、その中に見えている審判が一人でもいたならば、それを少数意見として排除するべきではありません

 また、別の試合での例ですが、決勝での副審4名の5審制の場合にも同様のことがありました。上段回し蹴りが入って主審と副審の1名が技有りを取り、残りの副審3名が「不十分」のゼスチャーをした時に 2−3 なので「取らない」と主審が判定していました。
 これは正しい判定なのでしょうか。

 ジャッジのすべてを多数決で行うのならば、副審が5名いるだけなのと変わりありません。
 主審は選手の一番近くで見ており、試合の進行を取り仕切り、技の有効度を判断する権限を持っているのが当然です。
 技の強度や選手のダメージなども含めて有効技を判断し、反則があった場合には口頭での注意で留めるのか、減点を取るのか、主審がリーダーシップを持って副審をリードしていかなければなりません。

 上の例で言えば、主審が「技有り」だと判断し、他にも1名の副審はそれを支持しているのですからそれを有効だと判断するべきではないでしょうか。
 最低でも副審を呼び集めて協議する必要はあったと思います。

 もちろん副審自身の判断は尊重されるべきですが、それを加えた上で主審には試合を進行していく権限が与えられていると思います。だから「主審」なんです。

 最後の勝敗の判定時に有効票としての権限は副審と同じであるべきだと思いますが、それと試合中に個別の技の判断を行う主審の権限とを混同するべきではありません。

 ラグビーやサッカーなどでは主審の裁量が一番大きいとされています。サブジャッジの意見を聞くことはあっても最終判断は主審によって決められます。なぜならボールを扱っている選手の一番近くで見ているからです。

 ところが最近の空手の試合では主審としての権限が狭められ、試合の流れをリードするという役割が失われてしまってます。

 以前は経験豊富な主審が試合の進行を仕切り、一番近くで見ていることで技の有効度を判断していたのですが、現在は主審の権限が縮小されてしまい、反則までも多数決制で取ってしまいます。だから、選手はどこから見ても反則をしていないとアピールすることに躍起となるわけです。

 その結果、攻防の中で許容できるはずの範囲がどんどん狭くなってしまい、実際に試合を経験してきている者からすれば認められるべき攻防が、形の上からの判断だけで反則とされてしまったり、逆に有効打としてポイントになるはずの技が無効にされてしまったりするのです。

 逆に言えば、多数から見えなければ反則しても良いのか、ということも問題です。

 不可抗力で金的に蹴りが入ってしまい試合が中断した時でさえ、主審には見えていても多数の副審が「見えない」ジェスチャーだと、反則注意さえ与えられないのです。

 有効打や反則を取る際に多数決だけで判断するのは避けるべきです。主審と副審に判定時の上下関係はなくても、主審の役割としての権限は高めておく必要があるのではないかと思います。

 そうやって試合をこなしていく中で副審のレベルアップも図られていくことになり、空手の試合自体もより良くなっていくのではないでしょうか。


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