本当にカッコイイとは?
 一般的には武道を行なう人間が「格好を気にする」というのは良くないことだと思われているようです。「格好つけやがって」などという言い方には非難する意識が現れています。

 「カッコイイ」などとカタカナで書くといかにも軽薄そうなイメージを受けますが、ここでは空手をしている上で「格好いい」ということがどういうことを示しているのかを考えてみましょう。

 そもそも空手を始めようと思った理由の中で、すべての人に共通するものとして挙げられるのは
「カッコイイから」

ではないでしょうか。
 「強くなりたい」とか、「型をきれいにやってみたい」などはもちろん、護身術として習おうとする人であっても、いろいろある中で空手を選ぶ理由は、それが自分にとって「カッコイイ」からだと思います。

 物事を判断する基準として「カッコイイ」ということは重要な役割を果たします。自分の気持ちの上でも、「カッコ悪い」より「カッコイイ」ことをする方がモチベーションが高まるのは当然です。それは行動だけでなく、服装についても同じことが言えます。初めて道着を着た初心者より、有段者の着慣れた空手着姿の方がサマになって見えますし、どことなくカッコ良く見えます。だから初心者があのようになりたいという憧れに繋がるのです。

 昔の空手家は見た目にこだわらない方が多く、服装も空手着を用いずに普段着で稽古されていた人も多かったそうです。もちろん空手の実力と服装には直接の関係はありませんが、初心者にとって上級者が憧れの対象になるからこそ、それを目標にして頑張る気持ちも出てくることを考えれば、上級者は服装にも気を使うべきでしょう。ペラペラで安物の道着よりもしっかりした生地の方が「カッコイイ」し、ネームをマジックで書いているより刺繍で入っているほうが「カッコイイ」です。カッコ良さが見た目だけではいけませんが、カッコよくあろうと努力することは、空手の稽古を一生懸命やることに繋がっていきます。
 有段者の先輩の「黒帯」を締めている姿がカッコよく見え、自分も早くそうなりたいと思う、その気持ちが稽古にヤル気を出させるのです。
 鳳雛会では初段以上になると帯の色が黒になるだけでなく、道着に入る刺繍の色を変えるなど、初心者と差をつけているところがいくつかあります。それは色帯との違いがあることによって「カッコ良く」見えて、下の者から憧れの対象になるようにしているからです。また本人にとっても、帯の色だけでなく、道着を変えることなどで本人に有段者としての自覚を持たせています。
「カッコイイ」ということは大切なことなのです。

 それにカッコ良く動けるということは、身体のバランス、力強さなどに無駄がなく動けているということにも繋がります。 空手をやっている時の姿が「格好」良くないと、それはまだまだ稽古が足りないということです。

 さらに、ある程度「空手」ができるようになってくると、一般人が「カッコイイ」と思うのとは別に、「玄人受けのする格好良さ」がわかってきます。素人にはわからなくても、見る人が見れば、研ぎ澄まされた技の動きを見て「カッコイイ」と思える目が養われてきます。組手においてもドタバタとした動きは「カッコ悪い」し、目立つ大技を出すよりもサラリと相手の技を受け流すような動きが「カッコ良く」見えてきます。そして武道の本質がわかってくるようになると、試合で勝って派手にガッツポーズをしているよりも、KOした後に何事もなかったかのように十字を切って頭を下げ、淡々と試合場を降りる姿の方がものすごく「カッコ良く」見えてくるのです。
 そんな落ち着いた格好良さを目指して稽古を積むのが、武道の修行としても役立つことなのではないでしょうか。

 だから、「カッコ良さを目指して稽古を積む」のはとても重要なことだと思います。

 空手を習ってる人には、子供たちはもちろん、大人も
みんな「カッコ良く」なって欲しいですね。


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