海自訓練死


組織の閉鎖性の危険
少し前になりますすが、海上自衛隊の訓練で死亡事故が起きたという報道がありました。1対15の対人稽古で起きた事故で、最初新聞に出た記事では集団リンチではないか?という調子で報道されていました。しかし、数日経った記事には同じ形の訓練をやった同僚の発言を掲載し、隊の内部ではリンチという感覚ではない、ということが書かれていました。

この部隊は海自の中でもエリート部隊で、訓練課程で脱落者が多いと言われるとても厳しいところだそうです。今回の訓練は途中で脱落して元の部隊に戻る者に対しての「はなむけ」として行なわれていたようですが、結果から見ても安全管理の点で不十分なところがあったのは否めないでしょう。

1対15と言うと寄ってたかって袋叩きのようなイメージがありますが、記事を読むと一人交代で15人を相手にするというもので、空手の昇段審査時に行なう10人組手と同じような形だと思います。

フルコンタクトの空手道場では初段を取る時に10人組手を行なうところが多くあります。そのハードな試練を乗り越えて、初めて黒帯を締めることができるわけです。
しかし、初段の審査を受けられるレベルに到達するまでには最低でも2年から3年は掛かります。その上で審査で10人組手を行なっている時は、当然ながら師範がそれを見ています。そして途中で危険な場面があったり、無理だと判断した場合審査が中止されます。
それくらいたいへんなものなのです。

ところが海自の訓練では、そのハードさから得られる充実感を得ることが第一となり、安全性が無視された形になっていたようです。
立ち会っていた教官は剣道初段、少林寺拳法初段ということですが、10人組手の立会いをするにはまったく不十分なレベルだと言わざるを得ません。

しかも死亡した自衛隊員は初歩の格闘ができる程度であったそうです。空手の稽古を2〜3年やって初めて10人組手に挑むレベルに到達することから考えれば、いくら自衛隊のエリートで運動能力が優れていたとしても、15人連続で組手を行うのは無理というものです。
この事件より前に同じ訓練をやった同僚隊員は空手の経験が少しあったからなんとか完遂することができたとありましたが、それでも途中で意識が飛んで、歯を折ったりするなど怪我をしたとあります。

当たり前です。

銃器の扱いや船への潜入など、海自のエリートとして肉体的にどんなハードな訓練をこなしていたとしても、対人の格闘技は別物です。運動能力が高ければ空手であっても上達が早いということは当然ありえますが、格闘技素人と黒帯の差はとても大きなものです。 黒帯を取るのはそんなに甘いものではありません。

海自の訓練ではそれを甘く見ていたということでしょう。
ここまで書くと、
「黒帯を取る10人組手はそんなにハードなのか・・・とても自分にはできそうにない・・・」
と空手を始めるのを諦めてしまう人がいるかもしれません。

心配御無用です。

真面目に稽古を続ければ初段程度には誰でもなれます。きちんと稽古を続ければ出来ることなのですが、もちろん一足飛びにはできません。そしてそれをしっかりと指導できる指導者が必要なのです。きちんと段階を踏めば出来ることだからこそ、海自の訓練ではそれを甘く見て、自分たちでも出来るのだと勘違いしたのでしょう。

10人組手を行うまでには指導者が当人の適性を見て、そこに至るまでの稽古の積み重ねから判断し、昇段の機会を与えているのです。昇段審査というものは、飛び込みで受ける資格試験とはまったく違うものです。
そして10人組手の最中には審査員が目を逸らさずに監視し続け、無理であれば審査を中止します。傍から見て続けるのが無理そうであっても、続行させている場合にはやり遂げる可能性があるということを指導者がわかっているからなのです。
だからこそ自分の限界を越えた試練を乗り越えた後の充実感は格別のものがあり、10人組手をやり終えたことが自信となるのです。

その充実感が素晴らしいものであるからこそ、それを得るために海自は無謀な15人組手を行なったのでしょうが、安全性に大きな問題があったように思います。そして死亡事故を起こすに至るまでの経緯には不幸な条件がいくつか重なっていました。

まず、
立ち会っていた教官の剣道初段、少林寺拳法初段程度の武道歴ではとても15人組手を監督するのに適切なレベルではないこと。
海自の特別部隊ということで身体能力に優れたメンバーの集まりであったこと。
以前に同じ訓練を行った際はたまたま空手の経験者であったことが幸いし、無事15人組手を完遂できてしまったこと、などです。

この内の一つでも欠けていれば今回の事故は人が死亡するという事件にまでは至らなかったかもしれません。
しかし、一番問題になるのは組織の閉鎖性にあると思います。

格闘技の専門家がいれば今回の訓練がいかに危険なものなのかは十分予測できるものです。けれど部隊のエリート意識からか、外部の者を同席させることを嫌がったのではないでしょうか。
事後の病院への搬送が遅れたことについても、「これぐらいは大丈夫」という自分たちの経験からくる医学的に根拠の無い判断があったのだと思います。

もし医師が立ち会っていたら、訓練を途中で中止される可能性が大きいことを知っていて、部隊外の人間には口を挟んでほしくないから、わざと医官を同席させていなかったのではないでしょうか。

自分たちエリートの行なう訓練だから、部隊の人間だけで行なっても大丈夫だという意識があったのだと思います。

しかし、実際には事故が起こってしまい、若い隊員の命が一つ失われてしまいました。自衛隊で活躍していた息子さんを亡くされたご家族のお気持ちは想像するに余りあります。

部隊を管理していた当事者たちは検察庁へ書類が送検されたとの事ですから、後は裁判所の判断に任されることになっています。
けれども、どんな判決が下されても亡くなった隊員の命は戻ってこないし、家族の方の悲しみが癒されるものではありません。

自衛隊が組織として今回の件を反省し、二度とこのような事件が起こらないよう管理体制を整えなければならないのは当然ですが、格闘技に携わる我々も今回の事件を他人事ではないと捉え、安全管理に気を配っていくことはもちろん、閉鎖した組織の中だけで自己満足するような団体になってはいけないと思います。


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