受動意識仮説


名人になれる可能性
今回の話は少し難しいかもしれませんが、今までの常識では気が付くことのできなかったことについて話をします。普通の凡人であっても、名人と呼ばれる人と同じ動きができるようになる可能性があることを、科学的に説明できるようになったという話です。

慶應義塾大学理工学部の前野隆司教授が説かれているものに「受動意識仮説」というものがあります。

まずは、次の本の引用を見て下さい。

「マインド・タイム 脳と意識の時間」
ベンジャミン・リベット著 下條伸輔・訳 岩波書店

『リベット博士は、時計回りに光の点が回転する時計のようなモニターを開発した。そして、脳に運動電位準備を図るための電極を取り付けた人に、モニターの前に静かに座ってもらった。その人には、心を落ち着けてもらい、「指を動かしたい」という気持ちになったときに、動かしてもらった。
(中略)
 つまり、「意識」が「動かそう!」と「意図」する指令と、「無意識」に指の筋肉を動かそうとする準備指令のタイミングを比べたのである。
 この結果は衝撃的であった。「無意識」下の運動準備電位が生じた時刻は、心で「意図」した時刻よりも約350ミリ秒早く、実際に指が動いたのは、「意図」した時刻の約200ミリ秒後だったのである。
 指が動くのが「意図」よりも遅いというのは、もちろん予想通りである。一方、運動準備電位が「意図」よりも350ミリ秒早いということは、心が「動かそう!」と「意図」するよりも前に「無意識」のスイッチが入り、脳内の活動が始まっているということを意味する。』

上の文章は、意識を考える上で有名な研究なのだそうです。

普通の考え方では、人が手足を動かすのには頭で「動かそう!」という意識が起きて、「手足を動かせ!」という指令が脳から筋肉に伝わり、実際に手足が動く、という過程を経ているように思っています。しかし、この実験の結果を見れば、「意識」が手足を動かそうとする前に、脳が「無意識」に手足を動かす準備を既に行なっている、ということです。
つまり、

(意識)「手足を動かせ!」 → (脳)手足を動かす準備 → (脳)手足を動かす指令 → (手足の筋肉) → 手足が動く

という流れではなくて、

(脳)手足を動かす準備 → (意識)「手足を動かせ!」 → (脳)手足を動かす指令 → (手足の筋肉) → 手足が動く

という順序が正しいと言うのです。

これの何が重要なのかと言うと、「意識しなくても」身体を動かすことが出来るということです。
「そんなことは前から知ってるよ」という声が聞こえてきそうですが、それが科学的に実証されていることが重要なことなのです。

このことは、野球でバッターが手元で変化したボールに対応して打つことからも説明が付きます。

例えば時速150kmで投げられたボールは、ピッチャーの手を離れてからキャッチャーに届くまでに約0.44秒、並のピッチャーで120km程度のスピードであっても0.55秒で届きます。

目で見た情報が脳に伝わり、判断して、それに対応した動きを筋肉に指示し、実際に筋肉が動き出すまでの時間を計算すると、ストレートだと思って振り出したバッターは絶対に変化球を打てないことになります。
つまり今までの理論で言えば、バッターがボールを打っているのはすべて「カン」に頼って振り出したバットに、たまたま予想通りに変化したボールが当たっていたということになります。
もっと言えば、目で見てからの反応時間では変化したボールにバットを合わせることは絶対にできません。

しかし、実際にはボールの変化にうまくバットを合わせてヒットを打つことのできる選手がいます。
これは、「ボールの変化に合わそう」と意識するより前に、身体が先に動いているから出来ることなのです。
つまりそのレベルに到達したバッターは「打とう」と思っていなくても、気が付いたら「打ってしまっている」ということです。

つまり、練習を積めば
「変化に素早く対応できるようになる」のではなく、
「変化に勝手に対応する動きができるようになる」わけです。

しかもその差は実験結果から見れば「わずかな量」ではありません。
動かそうと意識してから筋肉が動くまで0.2秒掛かるというのは人間の「物理的限界」で、どんなに訓練してもそれ以上縮めることは出来ません。しかし、動かそうと「思う」前に脳内では0.35秒も早くその準備が始まるというのです。

少し乱暴な例えですが、人間が自分の意思で筋肉を動かし、身体を動かせる限界速度は100m走が一番わかりやすいでしょう。
100m走で0.35秒あれば3m以上の差がつく距離です。

「組手技術『間合い』編」で書いた、年寄りの空手名人が相手の攻撃をかわして、バッタバッタと若者を倒すことの出来る秘密はここにあると思います。筋肉自体の強さや反射神経は年を取ると間違いなく低下していくものですが、その「反射神経が起こる前」に動き出すことができて、しかもそれが0.3秒も早いのだとすると、相手の攻撃をかわすのに充分な時間的余裕があると言えます。

相手と向かい合った距離で、蹴りがスタートしてから上段にヒットするまで0.5秒くらいは掛かるとしても、その動きを目で見てから反応して動いていたのでは物理的には間に合いません。
ところが実際には、そんなに簡単に上段回し蹴りはヒットしません。
つまり、組手の最中は「無意識」に相手の技に反応してかわしているということになります。 この無意識の反応を常に作り出し、高めていくことが稽古であり、「無意識」に動くことのできるレベルに到るまで稽古を積むことが、本当の意味で「身体で覚える」ということなのです。

稽古を積んでそれが条件反射のように出来るようになれば、若さに任せた体力やスピードに頼らずに組手することができます。
つまり持っている身体能力にのみに頼らなくてもいいということです。
もちろん身体能力は優れている方がいいに決まっていますが、生まれつき持っているものだけで優劣が決まるのではなく、積み重ねた稽古の成果が相手との差になるのであれば、稽古に励む意欲も高まるというものでしょう。

相手の攻撃を「無意識」にかわし、さらに「無意識」に攻撃を出すことができるようになる。そんなことは名人・達人レベルの話で、自分とは関係のない不思議なものだと思っていたことが、実はそんなに荒唐無稽になことではなく、稽古を積むことによって充分可能になるということが、科学的に証明されるようになってきたのです。

これってすごく魅力的な話だと思いませんか?
自分にはとても無理で特別な素質のある人にしかできないように思っていたことが、夢ではなく到達可能なのだということを我々に示してくれているのです。


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