ケガについて


怪我の恐怖を乗り越えて

 別のページにも書いていますが、鳳雛会では安全第一で稽古しています。
 そうは言っても、フルコンタクトと呼ばれる組手を行なっていますから、当然ケガをすることもあります。

 ケガをするなら「安全ではないじゃないか!」と言われるかもしれませんが、危険が起こることを想定しているからこそ「安全」が強調されるのです。

 工事現場で「安全第一」の標識が出ているのは、ケガをする可能性があるゆえに、安全を意識させるために言われているのです。

 極端な話、工事をしなければ「安全に」なんて言う必要はないですよね。
 けれども、危険かもしれない「工事」を行わなければ、立派な建物は立ちません。

 空手の稽古に関しても同じことが言えます。
 できるだけ安全に気を配り、する必要のない無駄なケガや負傷はしない方がいいに決まっているのですが、だからと言って組手をしなければ、実際に自分に暴漢が襲い掛かってきたときに、護身術として空手が使えなくなってしまうのではないでしょうか。

 最近の傾向として、単に身体を動かして汗を流したいだけとか、見栄えがきれいな空手の型をやりたいなどを目的として空手をしている人も多くいるようです。

 もちろん、それらの空手をしている人を否定するものではありませんが、空手本来の持つ格闘性を失ってしまったのでは、それはもはや「空手」とは言えないのではないかと思います。

 現代の世の中では殴り合いのケンカなどというものは、日常生活ではあまり目にしなくなっているのかもしれませんが、通り魔に襲われるという事件は今も頻繁に起きていて、いつ自分に襲い掛かってくるかわかりません。

 暴漢に襲われた時に、自分を守る護身の役にも立たないものを、私は「空手」とは呼びたくありません。

 子供が空手でケガをしてしまうと、「空手は危険だ」などと短絡的に考えてしまう親もいるようですが、もっと大きな危険から身を守る為に訓練していると考えて下さい。

 試合や稽古の最中にケガをすることはあります。
しかし、空手が他の格闘技よりも大きなケガをする確率非常に低いと思います。

 平成24年の4月から義務教育で導入された「武道必修化」に関連して、柔道の危険性を指摘する声が多く聞かれ、このHPでも別項でその危険性を述べていますが、負傷の程度や件数から見ても、空手の方が何倍も安全なように思います。

 もちろん「打撲もイヤ」「痛いのもダメという方には空手をお勧めできませんが、それと引き換えに得られるものは、その痛さ以上にあると思っています。

 それは護身術として身に付ける技だけに留まらず、精神的な成長が得られることにあります。

 組手では人を殴るけれども、自分も殴られることで身を以て痛みを知り、そこから相手への思いやりが育まれるのです。
 これは知識として知っているだけではけっして得られないものです。

 他の怪しげな武道や道場では痛い組手をせずに強くなれるとか、身体の鍛錬をしていれば大丈夫だとか、動きを繰り返し練習していれば十分に対応できるなどと言っているところもあります。

 しかし、実際に護身が必要な場面に出くわした時に、理屈だけでそのように動けることができるのでしょうか。
 実際に殴られる経験をしているからこそ、本当に危険な目に遭った時にそれを回避する動きができるようになるのです。それは技術よりも、ハートの部分が大きい要素を占めます。いわゆる肚(はら)が据わっているか、ということです。

 組手をするようになるとケガをします。単なる打撲や擦り傷程度なら大したことはないのですが、骨折などの大きなケガをしてしまうと組手を避けるようになり、空手自体を続けることが怖くなったりしてしまうことがあります。

 けれど、それを乗り越えて続ける事で得られることは非常に大きいと思います。

 大きなケガをしてしまうと、その後、道場から足が遠のいてしまう人がいます。しかし、そういう人にこそ空手を続けて欲しいのです。なぜなら、怪我をしたからこそ怪我の怖さを知り、怪我しないためにはどうすればよいのかと真剣に考えて稽古するようになるため、上達へのチャンスを得たことになるからです。

 そして、技の上達以上に大切なことは、空手では人を殴る、蹴るという行為をするがゆえに、そういったケガの経験をした人の方が相手に対して思いやりを持つことができるようになる、ということです。

たとえケガをしたとしても空手を続けることによって
技術的にも精神的にも一段高みに上って欲しいと思います。


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