2012年の今年の漢字に「金」が選ばれ、オリンピックの余韻もようやく冷めてきた頃ですが、今回はオリンピックで惨敗とも言える成績を残した柔道についてです。
オリンピックでの日本選手の行状については述べたいことがたくさんあるんですが、それはまた別の機会に譲るとして、
先日に新聞で発表された柔道のルール改正について述べてみたいと思います。
改正を打ち出したのは国際柔道連盟(IJF)で、ロンドン五輪で混乱を起こした「ジュリー」制の運営方法や畳の上で裁く審判員の数を減らすなど、まだまだ議論の余地はあるものの、ミスを少なくする方向に変えていこうとする姿勢は良いことだと思います。
けれど、今回の一番問題となる点は
「脚取り」禁止にあります。
技の禁止事項が増えるということは、その競技自体の性質が変わってしまうということです。
極端な例で言えば、
「サッカー」でボールが楕円形になって手を使ってもいいとなったら、それは
「ラグビー」という違うスポーツであって、ボールを手で持たないという
禁止事項のある無しがその
競技の本質を決めていると言ってもよいものです。
柔道の本質は投げにあり、その後のもつれた状態での寝技に真価が発揮されます。
打撃技を禁止するということでスポーツとして発展することができた柔道ですが、その制限した中で
更に「脚取り」を禁止するというのは、本来の格闘技的な視点で見た場合に許容される範囲だと言えるのでしょうか。
2010年から禁止された脚へのタックルは、レスリングとは違うという事を示す点において評価されるものかもしれません。しかし、
武道として柔道を修行している人からすれば、それに対応できないのは
「未熟者」に過ぎません。
それなのに帯から下の下半身に対して手や腕を使う行為がすべて反則負けとなると
競技のスタイルが変わってきます。
柔道は、
元々格闘技であり、ルールのない戦いの中で相手を制するのが目的のものです。そこにルールを定めて競技としたことでスポーツとして発展してきたわけですが、柔道は単なるスポーツではなく、
「武道」としての面があるはずです。
それを忘れて、単に試合展開で見栄えが悪いという理由で「脚取り」を禁止するというのは、武術的側面からすれば
本質を見失ったものだと言えます。
下半身に触っただけで反則となれば、
技の種類が減少します。技の種類が減るということは、身体が大きくて体重の重い者が有利になるということです。多彩な技を駆使してこそ
「柔よく剛を制す」が可能となるのですから、これによって更に悪い意味でのスポーツ化が進むと言っていいでしょう。
現在の柔道は「無差別級」があるにしても、既に体重制を採用したスポーツになってしまっていますから、「スポーツ」としてやっている人にとっては大して問題のないことなのかもしれません。けれど、そこには「一本を取りに行く」という日本の柔道はなく、更には
「武道」ではないと思います。
いっそのことレスリングのグレコローマンとフリースタイルのように、「
JUDO」と「
柔道」は
別の物として分けてしまって、オリンピックなどの
国際大会では「JUDO」ルールでやるが、日本の大会ではもう少し以前のようなルールに戻して
「柔道」としてやってみるくらいの
気概が日本の柔道関係者に欲しいものです。
けれど、
オリンピックで金メダルを取ることが
柔道の発展だと考えている人たちにとっては決してできないでしょうね。
しかし、外国から押し付けられた勝手なルール変更に対して、
「No!」とハッキリ言える柔道関係者はいないんでしょうか。
嘉納治五郎先生があの世できっと嘆いています。