意識を高く


取り組む姿勢


武道から見た羽生結弦


 この写真はソチ五輪の男子フィギュアで日本人として初の金メダルに輝いた羽生結弦選手がSPで世界初の100点越えの得点を出した時のものです。

 まるで後ろ回し蹴りを出しているように見えませんか?

 身体の回転、手の位置、足と上体のバランス、そして何より獲物を捕らえるような視線の鋭い表情は、まるで組手の中のひとコマを見ているようです。

 滑る氷の上で片足立ちとなるフィギュアスケートでのバランスには、空手において足技を出す時に参考とするべき点が多くあるのですが、身体的な事柄だけでなく、彼の滑りには我々が参考としなければならないところがたくさんあるのではないでしょうか。

 何よりその精神的な面については、まだ若い彼に見習わなければならないところが多分にあるように思います。

 まだ19才ということで、インタビューで見せるあどけない表情とは対照的に、この鋭い顔付きには競技に懸ける真剣さが表れています。

 彼は東北の地元にいた高校生の時に震災に遭い、家族と避難所生活を送ったこともあって、スケートどころではない状況から競技をやめることまで考えたのだそうです。けれど、スケートで頂点を極めることで被災者の人への励ましとなれるようにすることが、自分にできる一番のことなのだと考え、今は一旦、東北を離れてカナダでスケート留学をしている最中だそうです。
 決勝のフリーでもライバルのパトリック・チャンの得点を上回り、文句なく1位で得た金メダルなんですが、受賞後のインタビューで出てきた言葉は、なんと「悔しい」というものでした。そのインタビューだけで7度も「悔しい」を繰り返し、口から出るのは決勝で自らが思うような滑りができなかった反省ばかりでした。

 何と意識が高い選手なのでしょうか。

 個人種目は自分の演技の出来だけで得点が決まり、直接相手と戦う格闘系の種目とは違うといっても、目の前の相手と戦うという心理は同じものだと思います。

 羽生選手の後に滑ったパトリック・チャン選手は、羽生選手がミスをしたことによって逆転のチャンスが大きくなり、ライバルの目の前で滑ることで金メダルが決まるという緊張から細かいミスを連発し、いわば自滅した形になったのですから、その心理的プレッシャーは相当なものだったのでしょう。
 そのプレッシャーは先に滑った羽生選手にもあったはずです。そして、金メダルを取るためにSPの得点を持って逃げ切りを図り、安全策の滑りをしていたとしても責められるものではありません。しかし、彼は敢えて攻めの滑りに挑み、その結果の転倒があったわけです。
 けれど、それが逆に相手へのプレッシャーに変わったのだとしたら、羽生選手の攻めの精神こそが勝利を引き寄せたと言ってもいいものでしょう。

 個人の出来で勝ち負けが決まる個人種目と違い、直接相手と対戦する格闘技では、つい目の前の相手に勝ちさえすれば良いといった空気が感じられる時があります。それが度を越してメダルさえ手にすればいいといった雰囲気で、武道の試合なのに有利な状況を得た後、逃げに回ってポイントを守るような戦い方をする選手はゴマンといます。
 スポーツの試合でルールの範囲内ならば、それも戦略の一つとして間違ったものではないでしょう。しかし、我々が空手関係者として武道の視点で考えるならば、羽生選手の決勝に望んだ姿勢の方が遥かに武道的なものだと思います。
 しかも勝った後にその内容に対しての反省が先に出てくるというのには本当に関心させられます。

 その意識の高さは彼の日常生活にも表れています。
 現在の日本では彼の年代なら普及率98%にもなる携帯電話を彼は持っていないのです。理由は、親から許可がもらえないというのが第一なのですが、自分も「競技に集中するため」にはその方がよいと思っているとの事です。

すばらしいですね。

 確かに携帯電話は便利なツールですが、あくまでそれは人とコミュニケーションを取るときの「ツール(道具)」であって、携帯そのものが重要なわけではないはずです。

 ところが、若い年代には(けっこう年配の人にもですが…)携帯依存の状況が見受けられます。一日中、ケータイを肌身離さず、お風呂に入る時さえ浴室の入り口に置いておかなければ着信が心配で落ち着かないという人までいます。

 そんなものに時間と意識を取られているよりも、自分の目指す目標のために練習に集中することの方が重要であると言い切れる彼は、本当の意味で自分を持っている人物だと思います。
 確かに「あれば便利」な携帯電話ですが、緊急時に連絡が取れるという必要性は、あくまで「緊急時」に必要なのであって、常に持っていること自体「必要ない」と思います。それにLINETwitterなどで「今すぐ」知らなければならない情報なんて、ほとんどどうでもいいことばかりじゃないでしょうか。

 時代の違いということもありますが、例えば、大山倍達が山篭りに携帯電話を持っていってたとしたら、あなたは尊敬できますか?

 回りの雑音に悩まされることなく、自分の目的に向かって集中するために多少の不便は我慢するというのは、絶対に必要な事ではないでしょうか。


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