やってしまう心理


ガッツポーズについて


武道におけるその価値


 少し前になりますが、トーナメントではない大会に何人かの道場生が出場したため、会場に足を運んで試合を観戦していました。

 普通のトーナメントではなく、一発の技が決まった瞬間に勝負が決まるルールなので試合時間が短くて済むため、負けても希望すれば何度も相手を替えて試合を組んでもらえるという形式の大会です。
 実力差があり過ぎて同じ学年のトーナメントでは中々勝てない子供も、実力に合わせて対戦相手を替え何度も試合を組んでもらえるので、経験を積むのにはとても良い大会でした。

 当会から出場した中にも、今まで試合で一度も勝ったことのない子が、上段蹴りがうまくヒットして、一勝を挙げることができました。

 まだ小学校の低学年なんですが、その子は勝てたことがよっぽどどうれしかったのでしょう。勝ちが決まった瞬間に思わずお父さんの方を向いてガッツポーズを取ってしまいました。
 すぐに主審から注意を受けていましたが、試合場を降りた後に私からも注意しました。

 この子供の場合もそうなんですが、つい思わずガッツポーズが出てしまうということはあります。
 けれど、武道の試合においてはガッツポーズをするべきではないと私は思います。

 剣道においてはそれを明確にルール化しており、ガッツポーズをした瞬間に「ルールで」負けと決まっています。

 スポーツとしての試合なのだからルールに従え、というのはハッキリしていてわかりやすいのですが、その理由が「武道的」であるがゆえに私は少し違和感を持っています。

 その意図するところには全く反対ではありません。けれどスポーツとしてルールに縛られるのではなく、武道としてその意図を理解した上で、自ら意識して行動できるようになるべきではないかと思うからです。

 それに、ガッツボーズしたいのなら武道ではない競技を行なえばよいのです。

 ボクシングの試合などでは試合が終了した後、判定を待ってる間にガッツポーズし続け、勝ちを観客にアピールするという事が行われます。

 それは間違ったことではありません。なぜならそういうスポーツだからです。

 そういった風潮を取り入れ、判定を有利に運ぶ方法として自分が勝っているのをアピールするという事が空手でも盛んに行われていた時期がありました。
 格闘技ブームに乗って多くのイベント的な大会が組まれ、TV放送などが入ったりしたことでその影響を多くの若い世代が受けました。おかげでTV放送もしていない普通の試合でも同じように派手なパフォーマンスをするのが見受けられるようになりました。けれど心ある人たちはそれを苦い思いで見ていたのではないでしょうか。

 以前にオリンピックの水泳で、金メダルが決まった瞬間に雄たけびを上げてガッツポーズを取っている北島選手は非常にカッコよかったと思います。
 けれど、これが剣道ならばその瞬間に反則負けです。

武道ではガッツポーズを取るべきではありません。
それはなぜか?
 一言で言えば、
武道は試合で勝つのが目的ではない からです。

 だから試合に勝ったからといって、それが目的を達成したことにはならないのです。
 目的を何も果たしていないのに「ガッツポーズ」なんて、おかしいでしょ?

 もちろん試合に出るのならば勝ちを目指して最善を尽くすべきですし、勝ちに拘る気持ちもわからないではありません。

 けれど、何のために試合をしているのかと言えば、普段の、稽古の成果を試すために過ぎません。毎回の稽古がどれほど身に付いているのか、身に付いた技をどれくらい実際の場で発揮できるのかを試す場所が試合なのです。そこでダメな部分に気が付けば次の稽古でそれを正し、更に高みを目指していくのが武道なのです。

 試合に勝ったとしても、それはその時のその相手に対して、自分が僅かばかり優位に立っていたというだけのことです。その試合で勝ったからといってすべての大会で優勝したわけではありませんし、空手の極意をマスターできたわけでもないのです。

 空手道という長い道を歩んでいく上で、小さなステップを一つ上ったくらいのことで「ガッツポーズ」を取って喜んでいてはいけないのです。

 自分の空手修行にとって何のプラスも無いガッツボーズですが、それは自分自身に関することだけではありません。
試合の相手に対しても失礼なことです。

 試合をする相手は、自分の修行を手伝ってくれているのだという気持ちを持たなくてはいけません。相手がいるおかげでその試合をすることができ、自分の力を試すことができるのです。

 相手も同じように苦しい稽古を積んで試合に臨んできているのだということを、自分と重ね合わせて考えてみてください。その試合ではたまたま相手より強いという結果が出たとしても、相手を前にしてこれ見よがしのガッツポーズをとるというのは許されることではありません

 勝っても負けても相手に対して礼を失してはいけないのです。

 対戦相手は同じ空手道を修行している仲間です。

 試合というのは、相手に自分の修行を手伝ってもらっているようなものです。相手があってこそ試合ができるのであり、その相手も試合を通して成長していけるようにこちらも手伝いをしてあげているわけです。

 試合には勝ち負けが出てきますし、それは仕方のないことです。けれど負けた時にはその反省を生かして、如何に次に繋げるのかが大切な事であり、勝ったとしても内容に反省する点はたくさんあるはずです。ですから、勝ち負けだけにこだわっていてはいけないのです。

 勝っても負けても、試合をすることによって空手を通した武道の道を、一歩先へ進めることができたならば、そこに試合をした価値があるというものです。

 ガッツポーズを取って1人で小さい勝ちに満足しているよりも、相手と共に一段高いステージに上がっていく方が、空手をしている価値があると言えるのではないでしょうか。


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