勝つためだけじゃない


何のために試合をするのか


武道としての取り組み
 目先の価値にこだわって、何のために試合をしているのかを忘れてはいけません。
 何のために試合をしているのかは、何のために空手をしているのかというのと同義であり、それは何のためにあなたは武道をしているのかという問い掛けと同じです。

 「試合に勝つため」が目標の第一となるのならば、それはスポーツに過ぎません。もちろん、スポーツとして取り組むことで、そこから自らを高める意識を持つことができるし、それがスポーツの効用だと喧伝される事も多いのですが、スポーツとして取り組むと、往々にして試合に勝つことが第一となり、他の事柄は二の次になってしまいがちです。

 私の師範はアメリカに渡り空手を広められていたのですが、日本の空手が武道性を失っているのではないかという危機感から、年に数回日本へ戻られ、我々に直接指導してくれていました。そして、よく次のように言われたものです。

 「大会のための空手を教えに来たんじゃないよ!」

 もちろん、教えてくれる内容は、試合においても有意義で使える技ばかりなのですが、すべては基本から始まり、から応用して組手へと繋げるものでした。
若くて試合で勝ちたい連中が基本や型をすっ飛ばして、組手の動き、それも試合で使えるような技ばかりをやっていると上の言葉で怒られたものです。

 武道の場合、「試合」はあくまで修行の成果の「試し合い」であり、勝つことが第一目的ではありません。しかし、武道の修行として試合をするのなら、勝つための努力はしないといけません。その努力をせずに「武道は試合が目的じゃない」などと言っているのは、しんどい事から逃げ出すための単なる言い訳です。
 なので、結果としてスポーツとして取り組もうと武道として取り組もうと、同じ方向に進むことにはなるのですが、そのスタート地点の方向性を忘れる本末転倒になるのです。

 試合の勝ち負けだけにこだわると、試合に勝った時には気分もいいからまた次も頑張ろうとなるのですが、負けた時には落ち込んでヤル気をなくしてしまうことになるのです。

 けれど、負けた時こそ反省すべき点や改善点に気付くことが多く、逆境に負けない気持ちを強くするトレーニングとなり、技術だけでなく精神的にも大きく成長できる契機となるものです。

 できるのなら、せっかく空手をしているのですから武道として取り組み、人生を豊かにするライフワークとして行なってほしいと思っています。


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