相手の為は


自分のため
 相手の事を思ってしてあげたことが、逆に相手から疎まれる結果になったという経験のある人は多いのではないでしょうか。

 そんな時に「せっかくしてやったのに!」と怒ってしまうことも多いのですが、私は自分の気持ちが相手に届かないと、無力感に包まれて「残念だなぁ」という思いを持ってしまいます。

 どうしようもないんですけどね。

 そうは言っても身近な人であればあるほど、つい「もっとこうした方がいい」とか「こうやらないと悪く見られるよ」と言ってしまうものです。

 そして、それが相手に受け容れられず反感を買って、それまで普通に接していたのがギクシャクした関係になってしまうこともあります。

 こちらからすると「他の人が言いにくいことを言ってあげているのに、なんて器量が小さい奴なんだ」と相手を非難してしまいがちです。
 そして、それは一般的な物の見方としては当然の事だと言えるでしょう。

 けれど、言われた方からすれば、自分にとって耳の痛い「イヤな事」を言われたのに過ぎないのですから、言った相手のことを良く思わなくて当たり前です。そのことを「自分のため」と受け取れない未熟な人間なんですから、そんな相手に「理解して感謝しろ!」という方が無理というものです。

 自分の子供になら親として正しく育っていけるようにと考え、子供からどう思われようがダメなものはダメだと教えるべきですが、大人に対しては相手から感謝されないのならば敢えてそんな事を言う必要もないのでしょう。
 強制的に理解させるようにするのも本当は必要なのかもしれませんが、赤の他人からいい大人が注意を受けて素直に聞けと言う方が傲慢なのかもしれません。

 そもそも、その相手に注意してやろうと思ったキッカケから考えると、そんなダメな態度を取っている人を見て、自分が「不快」を感じたからでしょう。そして、自分が注意してあげて相手の態度が改まれば私のおかげと感謝される。そう思っているんじゃないでしょうか。
 そう考えると、ある意味、自分が気持ちよくなりたいために注意しているとも言えます。
 相手のためにと言いながら、実は自分のためなんですよね。

 それが思い通りにならず、自分が気分良くなれないからと言って相手を責めるのは筋違いというものなんでしょう。

 世の中はだいたい自分の思い通りにはならないものです。それに対して腹を立てるのは、自分もまだ人間ができていないと反省する機会を、天から与えられたのだと思って感謝しなければいけないのかもしれません。

 なーんて、こんなことを書いている私も「せっかく!!!」と腹を立てていることばかりなんですけどね。

 まだまだ修行が足りません。


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