空手を始めた時の


初心忘るべからず


黒帯への憧れ
 この言葉は能の大家 世阿弥が『花鏡』という書物の一節で述べたもので、元々、能楽の修行に当たっての心構えを説いた言葉です。

 皆さんはこの「初心」を覚えているでしょうか。空手を始めるきっかけはいろいろあると思いますが、習い始めた最初の目標に「黒帯を取る」ことを挙げる人が多いのではないでしょうか。

 空手をやるからには黒帯を取りたい。これは誰もが目標にする代表的なものです。もちろん、「強くなりたい」や「大会で勝ちたい」など、様々な目標はそれぞれあると思いますが、それと並行して存在するのが「黒帯を取りたい」だと思います。黒帯に憧れず、単に格闘技に強くなりたいだけの人は「空手」ではなく、キックボクシングや総合格闘技などを選んでいるのではないでしょうか。

 つまり初心者にとって「黒帯を取る」ことは最重要な目的であり、空手をやる意味そのものだと言っていいものです。

 以前「青帯 赤帯」のところで述べましたが、オリンピックへの参加を目的にした空手界は、試合中の判別のしやすさから黒帯などしなくてもいいという判断をし、空手そのものを試合で勝つことを優先するものへと変容させています。オリンピックで金メダルを取ることが最重要だとし、「黒帯」の権威そのものを放棄してしまっているのです。

 現在のオリンピックは「参加することに意義がある」といった題目は既に形だけのものとなり、金メダルさえ取ることができれば良いという大会結果至上主義になっています。武道性を放棄しているといってもいいでしょう。

 そんな大会至上主義が日本の空手界にはびこり、黒帯を取ることよりも試合で勝つことの方が大事であると考える人が増えてきているようです。

 先日、当会において昇段審査を行い、中学生と30代半ばの一般部の2名が受審しました。一般部とはいっても小柄で優しい性格の男性であり、仕事の合間を縫って稽古を続け、何年も掛けてやっと昇段審査までたどり着いた人です。仕事で稽古に来れない時には、与えた自主トレを欠かさずやっているのが次に来た時の稽古を見ればわかりました。

 そんな中学生と中年男性ではあっても黒帯の審査では十人組手の試練は同様に行います。しかし、審査当日、組手の相手をする者が足らず、同じ者が2回入ることによって何とか十人組手を終えることができました。

 一般部の大人は仕事で中核を担うことも多く、稽古にも中々顔を出せない者が多くなるのは仕方のないことです。しかし、普段はそこの稽古に来ていない人も都合をつけて審査の手伝いに来てくれた者もいました。

 武道の究極の目的は単に強くなることだけでなく、「道」の完成にあると思います。
 まずは社会人として仕事をこなした上でないと空手に取り組めないのは仕方のないことです。けれど、自分が昇段審査を行なった時に、又は、これから受けようとする時に、協力してくれる人がいないとどういう気持ちになるか考えて見たらどうでしょう。

 黒帯を取るということは空手を始める時の最大の目的の一つです。自分が空手を始めた時の黒帯を締めることへの憧れの気持ちを思い出せば、「協力できることはする」という当たり前のことを薦んでできるのではないでしょうか。

 私の指導方針もありますが、昔の上下関係のように言われたら返事は「押忍」しかないような形は採っていません。けれど、自分の初心を思い出し、その気持ちを他の道場性に広げていく事は、武道の本質にも沿っているものだと確信しています。

 今回、十人組手に協力してくれた者には女性も含まれています。審査を受ける者がバリバリの若手選手だったりしたら、組手の相手をすることで怪我の可能性もないことはありませんが、今回に限ってはそんな心配もありません。

 翌日に試合を控えた選手が来ていたので、「この2人が相手なら大丈夫だから組手に入ってくれるか?」と聞いたら、「もちろん、そのつもりで来ています。」と答えてくれた者もいました。その心意気がうれしいですし、何より次の日に出る大会は一般部の上級レベルの試合ですから、前日に中学生相手の組手をして怪我をするくらいなら、一般上級に出るレベルにはないと言っていいでしょう。

 無理をする必要はありませんが、自分が空手をする上で何が重要なのかを考え、優先するべきことと、優先した方がよい事をしっかりと判別し、自らの空手に取り組んでほしいと思います。

 大会に出るからには勝つことを目的に全力で取り組むべきです。1年前から全日本選手権に照準を合わし、毎日そのためのトレーニングを積んで大会を迎えているのなら、その他の雑事は後回しでもよいでしょう。

 けれど、自分が大会に掛ける思い黒帯の審査の重みを比較した時に、大会の方が重要だと断言できるほど試合に向けて稽古している人間は、ほんの一握りしかいません。

 大会に出て、試合に勝つ為に努力する事は重要です。しかし、自分は何のために「空手」をしているのかをよく考えてほしいものです。

 繰り返し言います。
 空手は試合に勝つためだけにしているのではありません。自分を肉体的にも精神的にも高め、人としてのレベルを上げ、生きていく上での自分の心の支えとして自信を身に付けるためにしているのです。大会で優勝したりするのはその過程の一つに過ぎないものです。勝つために行うトレーニングが自分を高める稽古になっているから試合をする意味があるのです。
 だからこそ、空手は武道として一生やっていく価値があるのです。

 そういった空手本来の持つ意味を考え、自分が空手を始めた時の目標を思い出し、今一度自分の稽古を振り返ってほしいと思います。


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