自己流では限界がある


早くうまくなる方法


「人に教わる」
 空手に限らず、何かを身に付けるのに最も効率的な方法は、「人に教わる」事でしょう。誰からも教えを受けず、山篭りして一人で強くなれるヤツはそれだけで天才だと言えます。
 ライバルと切磋琢磨して上達していくのも良い方法ですが、自分の欠点を見抜いてくれる人、よくわかっている人から教えを受ける方がよっぽど早く上達します。

 ゴルフなんかでは「教え魔」みたいな人がよくいて、あれこれ教えたがるのですが、そんな人がすごくうまいなんて事はあまり無くて、自己流でやった方法がたまたま自分に合っていたりすると、そのやり方ばかりを薦めてきたりします。一生懸命に教えてはくれるのですが、うまくなれない事の方が多いようです。

 そんなケースは別として、できる人、わかっている人からせっかく教えてもらっているのに素直にアドバイスを聞けず、自分のやり方に固執する人がいます。
 自分はその方がやりやすいから、そのやり方が自分には合っていると思えるのでしょう。

 けれど、今の自分の状態ではそれが「やりやすい」としても、それがベストでないことはよくあります。
 一段上のレベルに上がってから振り返るとその事は簡単にわかるのですが、まだ下の段階にとどまっている間は中々それが理解できません

 例えば、初心者に回し蹴りをやらせると、ほとんどの人は軸足のカカトを返す事ができません。蹴りの回転をスムーズに行うには軸足を回すことが必要なんですが、慣れないうちは軸足を動かさない方が安定していて蹴りやすいワケです。

 ところが、上達して自然に軸足を回して蹴れるようになると、今度は逆に、軸足を回さない方がはるかに蹴りにくく、威力も出せないものです。

 これと同様に、いくらこのやり方が一番やりやすいと自分では思っていても、それは低次元のやりやすさであって、上のレベルから見れば、まだまだ未熟なやり方だという事があるのです。

 勿論、体格や柔軟性の違いによって、できる技、できない技があります。だからと言ってできない技をやらなくてよいワケではありません。大会で勝つ事だけを考えれば、できない技は措いといて、できる技を磨いていくというのも上達するための一つの方法ではあります。良いところを伸ばす事で、悪い部分が相対的に小さくなっていくというやり方です。

 しかし、「できなくていい」と、「やらなくていい」は違います。スポーツとしてなら、できる事を伸ばす( = 良いところをホメる)で全体として成長できれば、その中で悪い部分の割合は小さくなっていくので、それでよいのかもしれませんが、伝統芸能や武道の継承を考える場合は、苦手だからやらなくていいというわけにはいきません。たとえ、完璧にできるようにはならなくても、やろうと努力する姿勢は絶対に必要な事です。

 単なるスポーツで終わるか、武道として、人の歩く道として取り組むかの違いだと言えるでしょう。最終的に「できなくてもいい」かもしれませんが、諦めてやらないのは武道とは言えません

 自分には難しすぎると思えるような技であっても、教えてもらえれば、案外、容易に修得できる事があるものです。色々と自分で工夫したり、試行錯誤して技を身に付けるのも悪くはないですが、指導者から言われたことを素直に聞き、その通りに稽古するのが一番早くうまくなる方法です。


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