最近、普通の人が
突然キレるということが多くなっているようです。
この記事にも「
普通のいいお父さん」が赤信号を渡ったのを注意されたことで
カッとなって相手を殴り、死亡させてしまうという事件が載っています。
その社会的背景などは記事の内容に譲りますが、空手をすることで我々が身に付けなければならないのは、
単に身を守ることだけに留まりません。空手を習うことで被害者にならないようにするのはもちろんですが、逆の立場だった場合、つまり
加害者にならないためにも、怒る気持ちを抑えるのに空手は役に立つことでしょう。
記事にあるように「キレてしまう」人は、自分のアイデンティティーの核に「
プライド」や「
メンツ」を据えているので、自己の尊厳を保つために
威張ったり、大声を上げて強く出たりするのです。しかし、こんな「プライド」や「メンツ」は
虚勢以外の何物でもありません。単なる
ハッタリ、こけおどしです。
実態のない「プライド」や「メンツ」に、自分のアイデンティティーを据えているがゆえに、そこには何の裏付けもなく、他人から攻撃されるとそれは脆くも崩れ去ってしまうことになります。だから虚勢を張って、その「プライド」や「メンツ」を守ろうとしてしまうのです。
記事の後半に
『人はなぜ怒るのか』(著:藤井雅子)という本が紹介されており、次のように怒りの原因が分析されています。
怒りは「2次感情」であり、怒りの元となった「裏感情」がある。メンツをつぶされた恥ずかしさ、危険な思いをした恐怖、約束が果たされない不安−−などの
弱さを抱えた気持ちが
爆発すると怒りになるというのです。
「裏感情が大きければ大きいほど、それを隠そうとして生じる怒りも大きくなる。」
つまり、それだけ弱っているということになるのだ、と著者は言います。
他人に対して、そのことを理解してあげれば、激怒している人に対しておびえずに済むけれども、そんな
立派な人格を形成するのは
難し過ぎる、とも書かれています。
しかし、それが難しいだけでなく、相手が「
困っているからそのせいで怒っている」のだと理解できても、目の前で激怒して猛り狂っている相手に対して、こちらの怯えがなくなることはありません。
なぜなら、
恐怖や
怯えといったものは
本能的な力関係によってもたらされるものだからです。
たとえば、相手がどんなに激しく怒り狂っていたとしても、それが「
6才の幼稚園年長さん」だったとしたら、
まったく「怖い」ことなんてないですよね。
相手より
圧倒的に強い力を持っていれば、たとえどんなに相手が怒っていたとしても、
冷静に対処することができます。
そして、このことは相手の怒りを受け流すためだけでなく、
自分が怒らないようにするためにも非常に重要な事です。
記事では、怒りの気持ちを言語化してアウトプットさせることが自分に「裏感情」を理解させることになり、怒りを爆発させるのを抑えることができるようになる、とあります。
もちろん、そういったやり方で感情をコントロールするのもいいのですが、空手を身に付けることで、もっと
根本的な解決を図ることができます。
ハッキリ言えば、怒りを抱くのは
自分が「弱い」からです。
それなら
「強く」なることを目指す方が、
より建設的ではないでしょうか。
自分が強くなれば
余裕をもって相手に接することができるようになるため、怒りを抱くことが少なくなります。
普通、幼稚園くらいの子供に対して
「叱る」ことはあっても、
「怒り」を持つことはありません。なぜなら圧倒的に
自分の方に力があるからです。
それを理解できずに子供と同じレベルに立ってしまうから、相手が子供なのに怒り狂って暴力を振るい、子供の虐待に繋がってしまうのです。
精神的にまだ
大人になりきれていないということでしょう。
まず自分が強くなること。
何よりこれが第一です。
「プライド」や「メンツ」の
裏付けとなる力を持つ。その方法として空手を学ぶことで
肉体的にも
精神的にも強くなり、相手と同じレベルに留まることなく
一歩上の段階に上がって、
ムダな怒りをまき散らすことが無いようになりたいものです。