「意識」の差


上級者が更に上達するために
 上級者が更に上達するためには、普段の稽古の中での意識の持ち方が大切です。
 大手団体に所属する選手は自分と同レベルや更に強い人達が大勢いるので、その中で稽古する事で競い合い、多くの組手をする中で、いわば勝手に上達していきます。

 けれど、上級者になればなるほど、上のレベルの人数は減っていきますから稽古相手も減っていく事になります。
 そうするとチャンピオンになった人は一人で稽古するしかない事になってしまいます。

 しかし、上のレベルではほんの紙一重の差で勝者と敗者が入れ替わりますから、そのレベルの人たちが集まって稽古すればよいのかと言うと、そう単純な話でもありません。

 会員数の多い団体では「チャンピオンクラス」「選手コース」などと銘打って強い選手を対象に稽古のクラスを設定しているところも多くあります。
 けれど所属団体にそれほど多くの強い選手がいなくても上達する方法はあります。

 題に挙げた「意識」の差によって稽古の質に違いを付けるのです。

 相手に恵まれた環境で稽古できる人はそれほど多くありません。仕事の都合などで稽古に出られなかったり、自分の道場では同等に組手できる相手が少なかったりする場合も多いと思います。

 そんな環境に物足りなさを覚えて道場を移籍する人も多いのですが、自分の「意識」を変えない限り根本的な解決にはなりません
 移籍した先が自分よりも強い人ばかりだと、自分は「弱い」ので相手にならないわけですし、自分の方が強くなると、又、移籍先を探さなければならなくなります。

 それに、そういったやり方で強くなれるのは元々素質のある人です。空手が単純にトップの強い選手を養成するだけのものならば、世の中に武道として存在する意味はありません。同じ道場の中でまだ強くない人も、上の者が引き上げてやる形を取らなければいけません。
 そんなことをしていたら上級者が強くならないのではないかと思うかもしれませんが、そんなことはありません。「意識」を変えればレベルが下の者と一緒に稽古する事で、上級者も上達していくことができるのです。

 そのために有効な稽古方法が「技を限定する」ことにあります。(「組手」での話です。「基本」についてはまた別で述べます)
 いわゆる約束組手の一形態ですが、限定した技の攻防によって実力が下の者とも稽古をする事ができるようになります。

 大体、上級者が初心者とフリーの組手をしたら「勝てて当たり前」です。だから、下の者の相手をしている時に手を抜いて適当に組手して気を抜いてしまう人が多いのです。そんな組手をしているから上級者には時間の無駄に思えて「自分の稽古にならない」と考えてしまうのでしょう。
 当たり前です。「自分の稽古」として取り組んでいないのですから。

 下の者と組手をする時にも、間合いやカウンターのタイミング、受けからの返しの動きなど、真剣に取り組めばいくらでも内容の濃い稽古ができます。  それなのにフリーで組手をすれば簡単にあしらう事ができるので「自分の稽古にならない」と考えてしまうのです。

 上級者とビギナーとの大きな違いは、技術面で言えばフェイントを使えるかどうかにあります。勿論、技自体の威力やスピードにも差がありますが、組手をする中で技が決まるかどうかは、連続技の中で捨て技と極め技をどのように組み立てるかに経験の差が出てきます。だから使える技が多いほどフェイントになる技が増え、攻撃のレパートリーが増えていく事になるのです。
 けれど、人が出せる技のスピードは限られていますから、初心者と上級者が倍も違うなんてことはありません。なので、技を限定しての組手ならば一つの攻防の中でそれほど差が出ないので、初心者でも上級者と同じレベルで一緒に稽古できるのです。

 一つの攻防の中で差が出ないという事は、逆に言えば上級者にとっても十分、稽古になるということです。
 技の精度を高めようとして組手に望めば充分に稽古になるのにも関わらず、そうしないのは怠慢以外の何ものでもありません。そんな気持ちでは自分が上達しないだけでなく、下の者を伸ばしてやる事もできないのですから、先輩としての資格も無いと言えるでしょう。
 「道場」というのは武道という「道を学ぶ場」なのですから、自分が上達するだけでなく、後輩の手本となって下の者を引き上げてやり、みんなで一緒に上達していかなければ意味がありません。

 下の者の手本となり、指導して引き上げてやるからこそ、道場で先輩として存在する意味があるのです。だからこそ先輩が尊敬されるのであり、また、目上の者を敬いなさいという指導がなされるのです。
 ただ単に空手を始めるのが少し早かっただけで先輩面して、後輩の指導もしないようなヤツは山に篭って一人で稽古してたらいいんです。

 道場で稽古するという事は、指導してくれる先生や先輩に感謝することであり、指導させてもらう事で自分の至らない点に気付かせてくれる後輩にも感謝するという事です。
 後輩を指導していく中で気付かされる事が多くあります。自分自身、技の理解が曖昧だったところを確認したり、よりレベルの高い動きにする稽古をしなければいけません。後輩を指導するという事も自分の稽古なのです。

 技を限定した組手の中では、ビギナーでも「その技」だけに意識を集中すればよいので、上級者の技であっても何とか受ける事ができます。逆に上級者は、その上で尚、技が入るようにどうすればよいのかを考えて動かなければなりません。

 そういう部分に気付けるようになれば、自由組手で下の者の相手をする時にも「自分の稽古」をする意識を持てるようになります。

 初心者は技の動きが大きいので、カウンターのタイミングを取るのに最適です。勿論、返す技でパワーを抑えるのは言うまでもありませんが、受ける角度を工夫したり、技を流したり、受けてから返しの動きを工夫したりなど、攻撃技を限定する事で非常に難易度の高い稽古ができます。

 そういった細かい部分への意識を高めることなく、自由組手をバンバンやって強くなりたいと思う人は、結局、より強い人の稽古のための捨て駒になってしまうことでしょう。

 自分が強くなると同時に、下の者も引き上げてやる事ができなければ武道とは言えません。
 一つの道場の中で、誰もがうまく、強くなれるよう頑張って欲しいものです。道場生みんなが一緒に稽古して上達していける事、それが切磋琢磨というものです。


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