武道が2012年度から中学校で必修化されることについて、2年ほど前にこの欄で反対する意見を述べたのですが、実施がもうひと月余りという目の前に来て、拙速を懸念する声が大きくなってきています。( →
毎日新聞2012.2.12付)
必修化の中では一言で「武道」という大きな括りで表現されていても、原則として
柔道、剣道、相撲が対象とされています。
相撲を「武道」として扱うのに抵抗を感じる識者も多いのですが、しきたりや心構えも含めて指導されるのならば、相撲を取り入れてもよいとは思います。しかし、相撲を指導できるほど嗜んでいる経験者は圧倒的に少数です。また剣道を新たに取り入れるには防具の購入などが必要とされるためか、
6割ほどの学校が柔道を選択するようです。
毎日新聞では社説でこの問題を取り上げ、
必修化を延期すべきだと主張しています。その大きな理由は
安全性にあります。
必修化によって取り入れられる種目としては
柔道が6割にも及ぶと見られているのですが、中学と高校に限ってみても柔道で過去28年間になんと
114人もの死亡事故と
275名の重度障害を生み出しているのです。
武道を学ぶ目的はいろいろあると思います。
礼儀を知り、自らを鍛錬し、
人格を高めていくのが最終目標であるとは思います。
しかし、何よりまず第一に重視しなければならないのは
「身を守る」ことではないでしょうか。
身を守るのは単に敵から身を守る「護身」を意味するだけではありません。
突発的なアクシデントに対応できるようになる事が必要です。
精神的には、アクシデントが起こった時に落ち着いて対応が取れるようになる事が武道の目的ですが、
実際の場においてはとっさの時に身を守るすべを身に付け、
致命傷を負わないようにすることが重要になります。
その意味においても、学校で教える上で
柔道は非常に有益なものだと思います。まず何より、受け身を取ることができるようになるだけで、転倒時の頭部外傷は大きく減ります。アゴを引く、丸くなるだけでもケガをする確率はかなり減りますし、その上で手による「叩き」による受け身ができるようになれば、
致命傷を受ける割合は大幅に減少します。
柔道の技術を身に付けること、とりわけ受け身を体で覚えておくのは
とても重要な事だと思います。
だからと言って、
きちんと柔道を身に付けていない者が、学校という公共の場で、全生徒を対象とした必修授業の中で、
指導するということには問題があります。
武道は
本来、危険なものです。武術で相手を制圧するものですから、その使いようによってはケガだけで済まず、
生命の危険にまで及ぶことがあるのです。それが上の死者数に現れています。
それほどの危険から
身を守るものとして、武道があるのです。その危険性の大きいことが、逆に
柔道の重要性を表しているとも言えます。
それなのに、その柔道の指導をするためだけに、たかだか
数日の講習をしただけで「黒帯」として認定して指導に当たらせるなど
論外です。
再度、言います。柔道だけに限らず、
学校教育で武道を必修するのには反対です。
武道自体に学ぶべき点は多いのですが、学校教育の中ですべての生徒に必修させるには圧倒的に
指導者が少な過ぎます。
武道が高い評価を得ている理由は、それだけの内容をキチンと教えることができる
指導者がいてこそのものです。表面上の形だけ武道を行ったとしても、指導者側のレベルが低くては何も伝えられることがありません。記事の中でも、
「初段程度の先生が中学生の柔道指導に当たるのは若葉マークをつけた初心者ドライバーが自動車教習所の教官を務める」ようなものだと言っています。
ここで更に留意してほしいところは、武道必修化で指導当たる先生には
「現場の実情を考慮し、条件付きで資格を認める例外措置を設ける」としているところです。どういう事かというと、体育の先生が所持している黒帯(初段)は、実際に柔道の修行をして取得したものではないということです。つまり、体育の先生の黒帯は形だけのもので、実質、
初段の実力も無い場合が多いのです。
つまり、実質は初段でさえない者が武道として柔道の指導に当たっているということです。
これでは学校教育で求められている武道の有効性に対する期待を裏切ってしまうことになるでしょう。
形だけ「黒帯」を締めていれば、安心して指導を任せてしまう学校現場にも大きな責任がありますが、このような資格制度を認めている柔道連盟にも問題はあります。
武道の修行はそんなに簡単なものではありません。
厳しくつらい稽古を乗り越えてこそ
黒帯を締める資格があり、だからこそ「黒帯」に価値があるのです。
柔道連盟のしていることは黒帯の価値を下げ、自ら武道の評価を貶めていることになるのです。
「武道」を必修化させようという動きがあるのは、それだけ武道に対して期待されている部分が大きいからです。それなのに、このような泥縄式で指導させるならば、長い目で見た場合には
「武道なんてやらせても何も良いところなんてなかった」という認識が広まってしまうことになりかねません。
記事の最後に「柔道が危険なのではない。
医学的知見を欠いた経験頼りの指導と、事故が起きても原因究明がなされず、
再発防止策もとられないという環境こそが問題なのだ。」とあります。
柔道関係者はこの事をきちんと認識してもらいたいものです。
古流武術に伝わる活法などを生かし、柔道整復師の仕事が保険医療の対象となるまで高めてきた先人の努力を無にするものでもあります。
学校教育での必修科目として行なうのなら、
安全を第一に考えなければなりません。
翻って、
空手の面から武道必修化を考えてみたいと思います。
一般的な認識から言えば、殴ったり、蹴ったりすることから空手の方がケガが多いように思われますが、実は、空手における
死亡事故はほとんどありません。(ゼロではありません。念のため)
打撲や時には骨折などをすることはあっても、後に障害を残すような大きなケガをすることもあまりないように思います。
(このあたりのことは実際に統計を取ったわけではありませんが、私が見聞きした現場での話と、ニュースなどで伝え聞くことからみても大きな間違いはないはずです。)
その理由として言えるのは、空手おいてはその技の、
危険性を認知している指導者が、
キチンと指導しているからだと思います。
ハッキリ言います。
空手はきちんとした経験者でなくては指導できません。
数日間の講習で黒帯なんて言語道断です。
ところが、このことをよくわかっているはずの空手界のお偉方にも、武道必修化を自らの種目が普及するチャンスと見て、柔道界と同じ愚行を犯そうとしている人たちがいます。
「空手道の教育力 空手道が学校教育に最も適している理由」 小山正辰 著
この本は、私もお世話になった先生が書かれたもので、ご自分が高校の体育で空手を必修科目として教えた経験を元に、武道必修化の中でどのように空手を指導していけばよいのかを述べられています。
現場で指導に当たられる先生にとっては
非常に参考になるもので、指導という点においては空手関係者にとっても勉強させられる本ではあります。けれど、その中で次の点だけは良くないと思います。
それは、簡単な講習を受けることで
必修武道用に黒帯を認定するという部分です。
その理由として、
『「斯道普及の功労者」としての敬意の表明』という言い方がされています。確かに武道においては
「名誉段位」というものが存在し、功労者に対して黒帯を授与することはよくあることでした。
しかし、
名誉段位の黒帯が、現場で実際に指導に当たるなんていうことは
ありえません。
特に、まだ空手の経験のない、全くの初心者を指導するのに、見た目の形だけ「黒帯」を締めるというのは、黒帯に対するイメージを大きく下げてしまうことになります。
最初、空手を知らない生徒たちは「空手の
黒帯なんだから、きっと
スゴイんだ。」と、畏敬の目で以て見てくれることでしょう。そして、その方が
指導しやすいのは言うまでもありません。
まさしくそれが目的なのでしょうが、口だけでなく
実技として技を見せれば、素人にもそのレベルはハッキリとわかってしまうものです。
全くの初心者からすれば、実力のある本当の
「黒帯」も、指導用に付けている
「黒帯」にも差はなく、特に
学校という場で先生が黒帯を締めていれば、子供にとっては、それが
公式に認められているものだと考えます。
その黒帯が、「たいしたことない」とわかると、
「空手の黒帯なんてたいしたことない」という
認識が広まってしまうことになるでしょう。
キチンと稽古を積んでいない者に黒帯を締めさせるべきではありません。必修体育で行う部分がそれほど危険でないように思えたとしてもです。
それを行なえば、間違いなく空手の価値を下げることになります。目先の普及に欲を出すべきではないと思います。