怒られるのは


子供の特権


叱られて学ぶ
 大人になった後に子供時代を懐かしむ人は多いと思います。
 あんなことをやった、こんなこともした、こんなイタズラをしてこっぴどく怒られたなども思い出が多いのはいいことなんですが、その上であの頃に戻りたいという人と、もう戻るのはイヤだという人に分れます。

 あの頃に戻りたいという時にその理由が、子供の間は少しくらい勝手なことをしても怒られなかったからという場合は少し注意が必要です。

 子供の時にはいろんな悪いことをしても、「子供だから」で許されてしまう部分が多くあります。もちろん、子供に大人と同じ責任を取れと言っても無理なのですから、子供という立場によって免責されることは必要な場合もあります。

 ですが、それは「子供だから何をしても許される」わけではありません。自分で責任が取れないのなら尚更です。
 そして責任の取れない「許されないこと」をしてしまった場合には、厳しく怒られなければならないと思います。

 そうやって大人になるに従ってやってよいことと悪いことの区別を知っていくようになり、許されることと許されないことを自分自身の体験として覚えていく必要があるのです。
 ですから、子供のうちは悪いことをしたら周りの大人が注意し、怒ってやらなければいけません

 ところが大人になったら注意してくれる人は減ってきます。なぜなら、注意しなければならないような者とは関係を持たず、そんな人間を相手にするより無視する方が楽だからです。

 そうなると、間違っていることには自分で気付かなければならなくなります。

 子供の時に怒られる経験の少なかった子供は、正しい事と間違っていることの区別を知らずに育ちます。

 現在の世間に広まっている「叱らずに褒める」だけの教育は、子供に本来与えられている「怒られる特権」を奪っているようなものです。

 最近は体罰禁止論が幅を利かせ、何でもかんでも「体罰はダメだ!」という事になり、少しでも力を使って抑えると、「子供の人権蹂躙だ!」とヒステリックに騒ぎ立てる人が多くいます。

 そんな人達は、まだ成長期の子供は動物的だということを忘れています。
 犬の子育てを見たことがあるでしょうか。親犬は仔犬を制する時に、初めは「ヴゥッ!」と唸り、それでも仔犬が従わない場合は口先を咥えて行動を抑えます(マズルコントロール)。力で抑えつけているという点で「体罰」ですが、もちろん本気で噛みついて怪我をさせたりはしません。
 体罰禁止論を声高に主張する人は「体罰」「暴力」の違いを理解していないのだと思います。「体罰」は矯正のための実力行使で必要なものです。それで怪我をさせてしまうのは「暴力」であり、それが許されるものではないのです。

 そして、初めは弱い子犬が大きくなって力を付けると元居た老犬に噛み付くようになったりしますが、それは本能なのです。それを正すのが教育なのに、その方法が「言って聞かせる」しかダメだというのには無理があります。

 子供であっても一個の人格なんだから「言って聞かせる」べきで、体罰は一切ダメだという、そんな教育論を振りかざす教育評論家が幅を利かせているから、日本人がどんどんダメになっていくのだと思います。

 ある程度大人になれば、実力行使で言う事を聞かせるよりキチンと説明して物事を理解できるようになるはずですが、小さい頃に良い事、悪い事を正しく躾けられなかった子供は大人になってもそのままです。そして、大人になると注意してくれる人が回りからいなくなるので、成人してもダメな奴は一生ダメな奴のままになってしまいます。

 子供をキチンと叱り、度を越している場合には力を使ってでも抑える事ができなければ、結局はその子をスポイルしている事になるのです。

 この話にリアリティを持って聞けない人は、小学校、中学校、高校の学校現場を知らない人でしょう。最近は学校間隔差が大きく、落ち着いた学校しか知らない人は、いわゆる「荒れた学校」の現状を目の当たりにした時、「理想の教育」なんてものは一部の恵まれた環境でしか成立しないということに気付くことでしょう。

 政府や文部科学省の進める「教育改革」に乗っているのは上のレベルの学校だけで、根本的制度を改革しなければ、日本の将来は非常に暗いと思います。国を支えるのは国民であり、国民の民度を上げるのは教育以外にありません。一部のエリートだけを育成するのではなく、すべての子供たちを日本人として立派な大人にするのが本当の教育ではないでしょうか。
 そのためには「体罰」と「暴力」の違いをキチンと認識した上で、人の痛みを身を以って知る指導は必要だと思います。

 そして、善悪の判断を身に付けるために子供は怒られるべきです。時には怒っている人に対して理不尽なものを感じる事があるかもしれませんが、それでも怒られた方がいいのです。怒られている内容に納得できるかどうかはさておき、とにかく怒られる事で目上の人、年上の人に対して自分を抑えて指示を聞くということを学べます。

 そうすると、その時には納得できないと思っていたことが、後になってダメだった自分に気付く事があります。ところが、ガツンと怒られて文句を言えない状態を経験していないと、そこで我慢できずその状況から逃げ出し、結局は自分が成長するチャンスを失ってしまうことになるのです。

 子供の間にそういった理不尽に怒られる経験を持つことで、大人になった時に世の中の不条理な出来事に対しての耐性が身に付くのです。だから中学や高校での部活動や、大学の体育会での上下関係を経験する事はとても重要なことなのです。

 有無を言わさず抑えつけられ、理不尽な体験をしたことで、下の立場に立たされた者の気持ちを汲む事ができるようになります。
 大人になってからはそんな理屈に合わない状態に自分を置く必要はありませんが、そういった経験をしたことがあれば下の立場の者への視点が拡がり、他人に対する視野が広くなります。それは人として成長しているということです。
 それができなければ、いつまで経っても自分の事しかわからないワガママで自己中心的な人間になってしまいます。

 そうならない為にも、子供の間、若い間にはたっぷりと怒られる経験をしておくべきだと思います。


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