空手道と空手


武道と武術


その違い
 一般の人にとっては武道武術もたいして違いはないように思われている事でしょう。
 例えば居合をやっていると言えば、「武道」を習っていると言うのも「武術」を習っていると言うのもたいして変わりないように思うのではないでしょうか。
 何となくですがニュアンスが近いように感じるのだと思います。

 最初に確認しておきますが、居合は当然「武道」であり、「武術」でもあります。ここから先の話は私の解釈なので違う受け取り方をしている人がいてもそれが間違っているわけではありません。

 「武道」は前提として「武術」がベースになっているのに異論はないと思います。武術を修練していく上で人格形成に役立ち、人として生きていく上での「道」を学ぶもの、それが「武道」です。

 最近ではスポーツに真摯に取り組むことで人格陶冶していくのを喩えて、「野球」とか「サッカー」などと標榜する方もいますが、精神性からすればあながち間違いとも言えません。けれど、当然それは「武道」ではありません。「武術」をベースにしていないからです。

 その視点からすれば、相撲は武道ではないと私は考えています。
 相撲は元々は神事として発祥したものであり、武術がベースであるとは言い難いでしょう。日本書紀に出てくる当麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の対戦が相撲の発祥と言われていますが、戦いの内容は最後に相手を蹴り殺したとありますから、現在の相撲とは全く異なるものでしょう。

 勿論、上に述べたように相撲を修行していく上で人格形成を計り、「相撲道」と称するのはかまわないと思いますが、現在の大相撲は興行がベースであり、観客がいなければ成り立たないものです。それに、例えば、山に籠って10年相撲の修行をしました、なんてことはあり得ないのですから、これを武道と称するのには少し違和感があります。

 豊作を願って神前での奉納として行われた相撲は、倒れて手をついた瞬間に負けとなるものですから、敵の攻撃から身を守る、若しくは敵を殺傷する手段であった武術とは、基本的なところで性質が違うものだと思います。

 武道のベースとなる武術には、相手を殺傷しうる技術を含んでいるか、又は自分に危害を加えようとした相手を制圧できる技術を持っていなければ、武術とは言えません。 その武術をベースに修行していくことで人としての人格形成を目指すのが武道なのだと私は考えています。

 相手を倒す方法を追求するのが武術であり、その技術を学んでいく過程で人間形成を行なっていくのが武道なのです。

 日本史で言えば鎌倉時代から戦闘によって敵を倒すことを目的とした武士集団が、江戸時代に入り天下統一された中で戦がなくなった時に、戦闘手段である武術を修練する中で、精神的向上を求めるようになったものが武士道、すなわち武道になったのです。

 武士階級が行っていたから武道なのです。当然、身分制のあった江戸時代までは武士しか行なっていなかったものが、明治以降、平民となった武士が一般の人々にも武術の指導を始め、武士としての精神的な心得のようなものまで指導するようになったのが、武道として一般民間人に広まっていったのだと考えられます。

 そうやって一般に流布していく中で、剣術が剣道、弓術が弓道となってゆき、新しく柔術から柔道が作られ、沖縄から本土へ入ってきた「手」が唐手から空手へと名を変え、空手道として武道の範疇に含まれるようになったのです。

 このような新興武道を含めても、武術的要素がベースになっていないものは武道とは言えませんが、そういった中でも特に空手に関して言えば、薩摩藩に支配されていた琉球時代の禁武政策により、武器の所持が一切禁止されていた中で自衛的武術として広まっていたのが「手」の源流であり、本土の武士道から発展した「武道」とは元々の成り立ちから異なるものでした。

 つまり空手は本土に入ってから「空手道」となって武道性を有するようになったのであり、それまでは武術的要素が色濃く残るものであったと言えるでしょう。

 ですから、本土で発生、発展していった武道とは性格が異なり、このことから「空手」という「武道色の強い」名称だけでなく、「空手」だけで通用するという特殊性が残ったのではないでしょうか。

 これが他の武道に比べて組織的に全国的な統一団体ができない遠因にもなっているのではないかと私は考えています。

 現代の社会の中で求められているのは、単なる闘争技術の「武術」ではなく、所属する社会の中で生きていくのに役立つ「武道」でしょう。

 武道を学ぶことで人間的な成長が期待できるからこそ、子供に習わそうとする親がいるのであり、自ら学ぼうとする大人がいるのです。

 しかし、それがルールに守られたスポーツをベースとしたものではなく、危地に陥った時に自らを守ることのできる「武術」性を持った「武道」でなければ、存在価値が低いように思います。

 その意味で、空手は他と比べて非常に有用性が高いと私は思っています。

 他の武道もそれぞれ特別な価値があり、する人の好みでそれぞれ選べばよいと思いますが、空手を選ぶ人はそういった武術性に必要を感じ、一見平和なこの社会で突然の暴力に襲われた時にも対処できる可能性を持った武道に魅力を感じているのではないでしょうか。

 多くの人に空手を学ぶことで得られる有意義な面を知ってもらい、空手の魅力を感じてほしいと思っています。


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