試合時に黒帯を締めない事について


青帯赤帯


黒帯のプライドは?

 全空連の試合では型も組手も、対戦形式で行なう際にそれぞれが青帯赤帯を締めて対戦する事になっているようです。

 試合時に観客から見たわかりやすさのためにそのようなスタイルを採るようになったのですが、2020年のオリンピック開催に向けて、それを普及するのに躍起になっているようで、テレビCMで空手の型を演じる女性にも青帯を締めさせて撮影していますし、新聞に掲載されるオリンピックに向けたインタビュー記事でも、写真に写るのにわざわざ「青帯赤帯」で撮影したりしています。

 一般的には、空手の上級者 = 黒帯 であり、色帯はまだ黒帯になっていないレベルの者が締める帯なのですから、TVで素晴らしく切れのある型をしている女性が青帯をしているのを見て不思議に思われた方も多いのではないでしょうか。

 オリンピックではTV放映に付くスポンサー収入が運営費の重要な部分を占めるため、TVで見てわかりやすいことを求められます。

 そのために柔道ではカラー道着が導入されることになったのですが、そこに到るまでには賛成派と反対派の激しい応酬があったということを、本コラム「道着を着ること」に書きました。

 そこで述べた、「見た時のわかりやすさを重視するために道着の色を変えてよいのか?」という問題についてはまだ解決されているとは思いませんが、柔道の試合で白道着と青道着が組み合っているのを見ても、それほど違和感はなくなってきているように思います。

 その柔道でさえ、「黒帯」というものは変えずに残しているのに、見た目のわかりやすさのためだけに「帯の色を変えていいのか」というのは、とても重要な問題だと思います。

 柔道では寝技もあるので組み合った時に帯だけでは見分けにくいということもあるのでしょうが、「黒帯」「道着」のどちらを重要視しているのかということでは、柔道は道着よりも「黒帯」のステータスを重視したという事でしょう。

 海外で競技している選手の間では、今はもう「黒帯」にこだわっている人は少ない、と世界の空手事情に詳しい先生が仰っていました。黒帯という見た目にこだわるのはもう何十年の前の話で、今は帯の色よりも「試合で勝てる」実力を重視している人が多いと言うのです。

 競技者の間ではそのように思っている人が増えているのかもしれませんが、空手のことをよく知らない一般の人達にとってはどうなのでしょう。

 海外での空手は「KARATE」として評価されていて、わざわざ「KARATE-DO」(空手道)と表記される事は少ないようです。
 オリンピックの競技種目としての名称も「KARATE」として採用されていますから、これからは世界的に「KARATE」として広まっていくことでしょう。

 何度か本コラムでも述べていますが、「空手」と「空手道」の「道」の有る無しで「武道」との違いを表していると思うのですが、これからは「JUDO」と同様に、「KARATE」はオリンピックにも採択されている『スポーツ』として、世界に広まっていく事になるでしょう。

 その「スポーツ」としての「KARATE」に文句を言うつもりはありません。

 けれど、昔は東洋への憧れに過ぎなかったものから、現在は精神的な内面世界を充実させるものとして、禅(Zen) と並び、「武道」としての「空手(道)」が世界的に評価されているのではないでしょうか。

 実際、沖縄の名人と呼ばれる老空手家の元へ修行のために来日して、試合とは一切関係のない基本稽古に明け暮れている外国人は後を絶ちません。
 そして、空手は禅のような高い精神性を備えながら、護身術としての武術性を併せ持っていることによって、空手をやっている者としての高い評価を得ているのが「黒帯」=「Black Belt」であり、それが強さの象徴とされているのです。

 先に書いた通り、柔道では「黒帯」の方を重視しています。国際柔道連盟(IJF)においては既に日本の発言力は微々たるもので、オリンピックでのルールも日本に不利な、しかもそれは武道の本筋から離れたルール改正が次々と採用されています。すべては「柔道」が「JUDO」となってスポーツ化したことが原因なのですが、そのIJFが更に日本に突きつけてきている要求が、「段位の発行権を持たせろ」です。
 以前から何度かこの攻防はあったようですが、現在、柔道の段位には講道館段位とIJF段位の二種類が存在していて、それをIJF段位に統合しようというのです。
 (この件に関しては、又、別稿でもう少し詳しく述べたいと思っています。)

 もちろん柔道の段位は実力が優先され、数名の勝ち抜きがあって取得できるものなんですが、元々、段位の認定というのは「家元」「宗家」と呼ばれる人の名の元で允許されるものです。そして柔道においては講道館が家元としての役目を果たしていて、スポーツの大会で勝ったからどんどん高段位が取得できるというものではありません。大会で初段の者が二段、三段を下して優勝というのもよくある話です。

 スポーツ的には「チャンピオン」の称号が最高のものであるはずなのに、外国が段位の発行権を欲しがるのは何故か。
 それは東洋の武道に対する憧れがあるからです。
 だからこそ柔道では道着に青色を取り入れても黒帯は残しているのです。

 アメリカンカラテと呼ばれるようなカラフルな道着を着ている人達も、帯は「黒帯」を締めたがります。それくらい「黒帯」に対する憧れが強いのに、その強さの象徴である「黒帯」を色帯に変えて競技しても、世界的に空手の評価が高まるとは思えません

 オリンピック種目に採択されたことによって、「KARATE」という言葉とスポーツとしての競技スタイルは世界的に更に認知されることでしょう。しかし、その中身(=「空手」という存在そのもの)が世界的に評価されるようにはならないと思います。

 単に試合での強さ(競技における「うまさ」)を競うだけなら空手着を使う必要もありません。体操競技のように身体の動きがハッキリわかる、体にフィットしたウェアを着用したらよいのです。
 なぜ、そうしないのか・・・・・
 答えはハッキリしています。
 世界的に「KARATE」に求められているのは、単に強さ、うまさだけではなく、精神的なものを含めた武道としての空手だからです。

 「競技」をしている現場の人からすれば、見た目よりも試合で発揮できる実力を優先するというのもよくわかりますが、だとしたら年齢が上がり、競技としては若手にトップを譲らなくてはならなくなった人の空手の価値は下がってしまう事になるのでしょうか。

 いいえ、年を取って競技的能力が劣ってきたとしても、精神的に高いレベルに到達していれば空手道としての価値は下がるものではありません。そして、世界的には肉体的強さだけよりも精神的に向上することの方が評価されているように思います。

 ですから、レスリングや体操競技のようにタイツを穿いて型や組手をやっても世界的には全く評価されないでしょうし、オリンピック参加に躍起になっているおエライさん方も、その事は(おそらく)わかっているのです。

 日本の武道の中の一種目でしかない空手が世界的に広まっているのは、単に強さ(うまさ)を競うだけのものではなく、そこに精神性が表現されているからです。

 今、既に「KARATE」として世界に広まり、「Black Belt」が空手上級者として憧れの対象となっているのですから、オリンピックで採用された事をきっかけに、まずは「KARATE」としての評価を高め、次に空手をやっている者の「Black Belt」のステータスを高める方が重要なのではないでしょうか。

 世界の人々が「KARATE」の強さに憧れ、「Black Belt」に尊敬の念を抱いているのに、オリンピックの商業主義に流され、テレビ観賞のためだけに、見やすい = わかりやすいという理由だけで「黒帯」というステータスシンボルを放棄する人達の気が知れません。

 自分が締める「黒帯」に対してプライドはないのでしょうか。

 自分が空手を始める時に持っていた「黒帯」に対する尊敬の念、初段に合格して初めて自分の黒帯を締めた時のうれしさを忘れていなければ、試合でのわかりやすさのためだけで、黒帯を締めずに「空手」をやっているなんて胸を張って言えないと思いますけどね。

 4年に1度の世界的イベントであるオリンピックに入るために、なりふり構わないおエラいさん達の思惑で、逆に「空手」(=「黒帯」)の世界的評価が下がらない事を祈ります。


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