昇段で帯が変わる事について
帯の色が変わることで自分の段位の自覚を持つ

 鳳雛会では初段→二段→三段と段位が上がるたびに帯を作り直します
 伝統派の多くは段位が上がっても同じ帯を締め続ける場合が多いので、黒帯を取ってから年数を経るほど帯がヘタってきます。そして帯がヘタっているほどキャリアがあると見られるのです。
 大学のクラブなどではハッタリを効かせるために、新品の黒帯をコンクリートにこすり付けたりしてわざとボロボロにしたりしています。しかし、実力が付いていなければいくら新品の帯をボロボロにしていても全く意味の無いことでしょう。
 私の師範は
 「普通に締めて稽古していたらあんなにボロボロになるわけがないよ。よっぽどの安物を使っているんじゃないのか!?」
 と言っていました。同感です。

 鳳雛会では他のフルコンタクト空手団体と同様に、段位に合わせて帯に金線が入ります。帯を見ることでその人の段位が外からもわかるようにしているのですが、段位が上がるごとに新しい帯に替えることで、その段位を取ってからどれくらい稽古を積んだかが帯のヘタり具合でわかるようにしているのです。
 つまり、二段の帯でボロボロにヘタっているよりも、新しい三段の帯の方が上だということです。ですから、わざわざコンクリートに帯をこすり付けてボロボロにし、回りに対していかにも自分は激しい稽古を積んでいますというような、意味の無いアピールをする必要はないわけです。
 一般の人から見れば帯の色でその人の空手の実力を判断してしまうのは普通の事で、色帯より黒帯の方が上だと考えるのも当然のことです。
 同様に、黒帯でも金線入れることで段位を示す方が周りから見てランクがわかりやすくなります。また本人も、色帯の時と黒帯を締めているのとでは気持ちの引き締まり方が変わってくるのと同じく、高段位の帯を締めていることで稽古をする時の心構えが変わってくるのです。
 鳳雛会では黒帯を取ってからが本当の空手道の始まりだと考えています。初段を取って黒帯になるまでは空手の基本的な技術を身に付ける期間に過ぎず、黒帯になったことで初めて空手の道の入り口に立ったと言えるのです。
 初心者が途中で諦めずに稽古を続け、黒帯を取れるまで頑張れるように段階を分けて帯の色を変えているのですが、上級者であっても自分自身の稽古の過程を再確認するために、黒帯にも段階があるべきだと思います。
 何本も金線が入っている帯を締めているのは、単に周りへ自分は高段者だとエラそうにしているわけではなく(まぁ、そういう流派の人もいますが)、稽古を続けている過程を自分で確認できるようにしているのです。
 級の時には数ヶ月単位で帯の色を変え、常に上へ上へと意識を向ける必要があったのが、上級者になるほど意志を継続できるものとして、帯が変わるまでの期間を長く設定しています。
 鳳雛会では入会してから初段として黒帯を締めることができるようになるまでの期間を、途中で稽古を休むことなく継続した場合で、2年間を目安としています。他流の経験者であれば、飛び級などで多少早く進むことはあります。しかし、鳳雛会の黒帯として技の基本と動き、空手に対する思想までを身に付けるのに、そんなに短期間ではできません
 そして、初段を取るまでの期間と同様の時間を稽古して、初めて二段審査を受けることを許可しています。上の段位へ進むほどその期間が長くなるのは当然のことで、鳳雛会では次に受ける段位の分だけ稽古年数を積む事を前提としています。

初段(16)→二段(18)→三段(21)→四段(25)→五段(30)→
六段(36)→七段(43)→八段(51)→九段(60)→十段(70)

 鳳雛会では一般部の初段は16才以上でないと認めていませんから、以上が一般部で最短の昇段を果たした場合です。空手の段位はその団体が認定しているものですから、段位が上がるほど単に個人の技量のみではなく、会や組織の発展に尽力したとか、空手道の普及に貢献したことなどを考慮に入れて昇段を許可することもあります。その際に年数が基準から外れるということはありえます。
 一般によく使われる方法として「名誉段位」というものがありますが、あれなどは正にこの例です。空手の稽古はやったことがなく、空手の技術を全く知らなくても、組織の発展に協力したことによって黒帯を締めるのを許可するというものです。

 以上のように段位の上の者が下の段位の者より必ず強いというわけではありませんし、実際に稽古をしている人であっても、あまりに短期間に昇段を果たす人がいたとすれば、それはその団体の都合で外部に対しての建前上の事とかで段位を上げているだけであって、稽古の積み重ねで獲得した段位とは言えないでしょう。

 若い間の二段、三段程度までは組手の強さと段位は比例すると考えてもいいでしょうが、それも絶対ではありません。全日本大会で二段、三段を次々と倒して初段が優勝を飾るなどはごく普通のことです。

 勿論、武道ですから強さを追求することは絶対に必要なことだとは思いますが、もし大会で60過ぎの七段と25才の初段が当たれば若い方が勝って当たり前です。しかし、そこで計られる強さというのは、大会競技の中におけるルール上での強さが比べられたに過ぎません。試合の勝者が称えられるのは当然ですが、「空手道」という大きな枠の中で総合的に見た場合に、大会優勝者が「一番」というわけではないのです。

 武道と武術の違いは「」の字の有無に表されています。空手の修行を、単に競技で勝つ為に練習をしていると考えるのではなく、自分の人生と重ねあわせ生きていく「道」として、人格と共に「人の道」を完成させるところに、「空手道」として本来の目的を果たすのです。

 「道」の完成を目指すということは、いわば「悟りを開く」というのと同列のものであり、少しばかり他人より先に進んでいたとしても、「道」への到達というのを基準にして考えた場合、その差は無いに等しいものでしょう。

 ひたすら倦まずに努力を続けていく事、それ自体が一番重要であり、評価されるべきことなのです。

 段位が上だからといって下の者よりエライというわけではありませんが、その努力を続けていく意欲を持続させるための一つの方法として級や段位が存在し、自分がどれだけ稽古を重ねてきたかを示すものとして帯の違いがあるのです。

 空手の段位は自分が積んできた稽古の量を確認するための道標のようなものだと言えるでしょう。


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