噛み合せの重要性


安全性とパフォーマンスの向上
苦しくても我慢して頑張ることを「歯を食いしばる」と言います。
これは単なる比喩で使われることも多いのですが、必死で力を発揮する時には実際に歯を食いしばった方が力が入ります。
この時に歯がきちんと噛み合っていないとしっかりと歯を食いしばることができず、一部の歯に力が集中することとなります。
そのせいで頭痛を起こしたり、ひどくなると顔のゆがみまで引き起こしたりします。 このことはかなり以前から科学的に立証されていたことなのですが、最近になってやっと一般にも認知されるようになってきました。

スポーツにおいても、最大のパワーを発揮するためにしっかりと歯を食いしばる重要性が見直され、パフォーマンスを高めるためにマウスピースが使用されるようになってきましたが、まだまだ一部の競技やプレイヤーが使用するのに留まっているようです。
一番古くからマウスピースを使用しているスポーツはボクシングですが、これはケガの防止が主な目的です。
パンチを顔面にもらった場合、歯が噛み合っていないとまず口の中がすぐに切れますし、一部の歯に力が掛かって折れる場合もあります。次に下あごがずれるため顎関節を痛めやすくなります。そして噛み締める力が弱いとアゴが振られるため脳が揺れて、その結果ダウンしたりすることになります。

マウスピースを使用することで口の中を切ることが減り、上下の歯が固定されるため、外からの打撃に対して力が全体に分散されて歯を折ることが少なくなります。
骨折は自然治癒して治りますが、折れた歯が自然にくっついたり、新たに生えてくることは絶対にありません。歯を治療するのには多額の費用が掛かるだけでなく、一生付き合っていく身体の一部ですからできるだけ折れたりすることがないようにしたいものです。 また、マウスピース自体がショックを吸収するため、脳へのダメージもいくらか軽減することができます。
スポーツをできるだけ安全に、ケガの無いように行なうためにマウスピースが必要とされるのです。ボクシングだけでなく、身体のコンタクトのあるラグビーやアメフトでもマウスピースの使用は既に当たり前の事になっています。

ケガから身を守るという観点だけではなく、パフォーマンスの向上のためにもマウスピースが使われています。その代表的な種目にウエイトリフティングがあります。自身の持つ最大のパワーを発揮するために思い切り歯を食いしばるので、マウスピースをしていないと歯がボロボロになってしまいますし、なによりアゴ全体が噛み合っていないと思い切り歯を食いしばって力を入れる事ができません。マウスピースを用いてしっかりと歯を噛み締めることで発揮されるパワーの最大値が大きくなるのです。
競技時には使いませんが同様の理由でボディビルディングでもトレーニング時にマウスピースを使用します。競技のパフォーマンスを向上させるためにウエイトトレーニングを行なう場合、軽い負荷であれば必要ありませんが、レベルが高くなるほど使用する重量も増えてくるので、マウスピースを使用した方が効果的なトレーニングを行なうことができます。

以前はボクシングくらいしかマウスピースを使う競技はありませんでしたが、ラグビーなどでの使用が広がってきたことから、最近は一般のスポーツ店でもマウスピースが販売されるようになってきました。値段は300円くらいの安物から数千円するものまで様々あります。とりあえずは無いよりマシという感覚で安物であってももいいのですが、口の中に入れるものだけにフィット感は重要だと思います。
市販品で1000円くらいのものは自分でお湯を使って歯形に合わせて成型するものが多いのですが、うまく作るのには多少の慣れが必要です。ちょっとしたコツや仕上げる時のテクニックもあるのですが、文章で伝えるのはちょっと難しい(めんどくさい)ので、道場の人間には私が直接教えています。
通販で販売しているものには歯型を取って作るものもあり、フィット感はかなり上がりますが、これも自分でやるので失敗することもあります。しかも値段は少し高めになります。
一番いいのは歯医者さんで石膏の歯型を取ってもらい、それに合わせて作ってもらうことです。
ただ、これも歯医者さんの技術レベルによる差が大きく、スポーツ用のマウスピースを作り慣れている歯医者さんでないと、歯にはフィットしているが競技に使うのには不向きな仕上がりになっている場合がよくあります。
値段は保険の適用範囲であれば5000円くらいで歯型を取ってくれて、後はマウスピース1個あたり500円くらいでいくらでも作れます。
自分でやって何回も失敗することを考えると少し高くても歯医者さんで作るのが一番いい方法でしょう。
ただ健康保険を使わずに作ると15000円くらいになりますから、歯医者さんとよく相談して保険が使える範囲で作ってもらう方がいいでしょう。

ケガを防ぐために使用するのもマウスピースの重要な役割ですが、何より競技のパフォーマンスを高めることの方が一般のアスリートにとっては魅力的なのではないでしょうか。キチンと歯を噛み合せることで筋出力が高まり、より大きな力を発揮することができるのです。
ピッタリとフィットしたマウスピースはつけたまま会話もできるくらいなのですが、それでも慣れるまでは違和感がありますし、呼吸もしにくいものです。

そこで根本的な対策はどうするのかというと、

「歯の矯正治療」を行なうのです。

マウスピースは噛み合せの悪いところをシリコンで埋めて、下あごと上あごが噛み締められるようにしているのですが、歯並びを治すことで根本的にその問題が解決します。もちろんボクシングのような競技では、歯を守る観点からマウスピースの使用は避けられないものですが、それでも歯並びのいい方がケガの確率は低くなります。

当然ですが、マウスピースはつけている間しかキチンと噛み合っていないので、つけている間しか効果はありません。ところが矯正してしまうと24時間一日中マウスピースをつけているのと同じ効果が得られるのです。

武道の場合は決められた稽古時間だけでなく、行住坐臥の全てに稽古の意識を持って修行していくべきものですから、いちいちマウスピースを付けたり外したりしているわけにはいきません。もしマメに取り外しを行なうのだとしても、歯並びが整っていた方がいいに決まっています。

空手の稽古を修行と捉え、そこまで意識を高く持って歯並びを治すことにまでに気を配っている空手家がいったいどれくらいいるでしょうか。

実際、歯の噛み合わせを矯正するのには数年に亘る治療期間と、かなりの治療費が掛かりますから皆に勧められることではありません。
それに歯の矯正治療を行なった場合には、程度や治療方法にもよりますが口の中に矯正器具を取り付けるため、その間は逆に口の中が切れやすくなりますし、歯を歯根から動かすわけですから、矯正期間中は歯の強度が弱くなっていて、打撃には弱い状態になっていると言えます。ですから試合などをする上では不都合があり、試合の結果が全てだと考えているスポーツ志向の人にとっては矯正治療なんかやっている暇はないということになるかもしれません。

人生の中で試合に出られる期間というのは限られていますから、一定の期間は大会で勝つことを目指して一生懸命に稽古をする事もとても大事だと思います。
しかし、武道は試合のためだけにあるのではなく、一生修行が続くから「道」の字が付いているのです。長い目で見るならば、その道を極めるために一番ベストな方法を選ぶべきだというのは、少し厳しい言い方でしょうか。

このことを「たかが歯の噛み合わせくらい」と考えている空手家は、以前にはマウスピースの使用を重要視しなかった他の多くのスポーツの指導者と、未だ同じレベルに留まっていると言えるでしょう。

大会などで活躍したいと考えて空手を始めた人であっても、スポーツ的な空手を充分に楽しんだ後には、武道的な空手に辿りついて欲しいものです。


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