出稽古での謙遜


黒帯とプライド


武道としての役割
 柔道や空手をやっているというと必ず聞かれるのは「黒帯?」という質問です。つまり柔道や空手では「黒帯」であるということがその種目に対しての一種のステータスとなっているわけです。

 だから有段者になるということは、自分のやっている武道に対して、黒帯を締める責任と自覚が求められるものです。

 ところが、柔道では統一した組織があるのに対して、空手は一人一流と言われるくらい全体を統一した組織がないため、黒帯の設定基準がバラバラです。
 ですから流派、会派によってそのレベルに大きな差があったりします。

 そうであっても「空手」という括りの中で黒帯かどうかというのは実力を見分ける一つのポイントにはなっています。

 そして、級の間は昇級に合わせて帯の色が変わってゆきますが、有段者になると初段も五段も帯の色は同じ「黒」です。なので、フルコンタクトの流派では帯に金線を入れて見分けるようにしているところが多いと思います。
(→ 帯が変わる事)

 以前は空手の出稽古に行く際に白帯を締めていくということがよく行われていました。これは相手の道場に対して、「そちらでやっておられる空手と較べれば、自分はまだ初心者のようなものです。」という謙遜の気持ちを表したものです。相手道場への敬意と言ってもよいでしょう。相手道場で「学ぶ」ことを目的としているのだから謙虚さはもちろん必要です。これをしないものは「礼儀知らず」と敵視されても仕方のないものでした。

 特に、他武道を学びに行く時には白帯を締めていくものです。なぜならその種目に関しては初心者なんですから当然です。書道で初段だからといっても柔道をする時には黒帯を締めないのと同じです。

 けれども、昔は「出稽古」という名の道場破り的なものも多く、「こちらが白帯を締めているのだから、そちらの方が強くて当然でしょ」という形にして、白帯が黒帯を倒し、「おたくの黒帯はその程度?」というような印象を与えるのを目的にしていることもありました。
 逆に、出稽古を受ける側も相手が黒帯を締めてきたら、「ウチの黒帯と同じ実力を持っているってことだな!」とムキになって攻めることになったものです。  そして、自分は黒帯を締めているからには負けられない━━とお互いに必要以上に激しく組手することにもなりました。

 つまり、黒帯を締めていくことによって出稽古に行く側は勿論、受ける側にもプレッシャーとなっていたのです。

 しかし、最近では出稽古は団体間の交流や、お互いの技術向上の側面が強くなっているので、黒帯の者がわざわざ白帯を締めていく必要はないでしょう。
 お互いに対等な立場で交流すればよいことだからです。

 例外的なものとして、道場間、指導者同士では対等な立場であっても、相手先の組織が大きな団体で、出稽古を禁止、あるいは許可制にしている場合などに、上部組織へいちいち許可を取るのが面倒な場合があります。
 そんな場合に、形の上では、道場の稽古に新人が参加している形態をとることで手続きを省略することがあります。

 これはこれで一つのやり方ではあるでしょう。

 けれど、本来、黒帯の自分が白帯を締めて「空手」を行うことに自尊心(プライド)が許さないということはないのでしょうか。

 他の武道に参加する場合は当然のことであっても、同じ「空手」だと考えた場合、相手に対してそこまで卑屈になる必要はないと思います。

 自分の締める黒帯に対してのプライド、最近はそういった「黒帯としてのプライド」的なものが薄くなってきているのではないでしょうか。
(→ 青帯赤帯)

 黒帯におけるプライドは「スポーツ」としてならば必要ない(関係ない)ものかもしれません。
(→ 柔道の黒帯)

 他武道ならもちろん私も白帯を締めることに何の異存もありませんが、空手において他道場へ行った時に白帯を締めるのは、自分の師に対して申し訳ないと思います。私に黒帯を締めることを認めてくれた師の力量を軽んじることになってしまうからです。

 ですから出稽古の場合にも黒帯を締め、それに恥ずかしくない空手をしようと意識することが、武道として空手を行うことであり、単なる勝ち負けに拘らず自己を向上させる「道」となるものだと思います。


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