少し前の新聞記事に、少しニヤリと笑えるものがありましたので紹介します。
それは落語家の三遊亭白鳥さんが大学時代に経験した
空手部での悪夢の思い出と、
社会人なってから出会った先輩とのやり取りを元に
書かれたエッセイです。
最近ではどうかわかりませんが、昔の
大学空手部の上下関係はそれはそれは大変なものでした。
町道場での先輩後輩の関係は実力に裏打ちされているので、元々逆らうなんてことができるものではないのですが、自分が強くなればそれなりに相手の対応も変わってきます。それにそんな上下関係がイヤであれば道場へ通う事を止めればそれまでです。
ところが空手部は大学を辞めるまで逃れることはできません。うっかり入った後で後悔した人が、いったいどれくらいいるのか想像もできないくらいです。しかも、自分がどんなに空手で先輩より強くなったとしても
上下関係は微動だにしません。
返事は
基本「押忍」のみで、言われたことは
全てその通りに、です。なので選択する返事は聞かれても答えるのが大変です。
先輩 「お前は
Aランチと
Bランチのどっちがいいんだ?」
後輩 「押忍」
(Aランチの方を食べたいなぁ)〈心の声 以下同〉
先輩 「
Aランチか?」
後輩 「押忍」
(そうです。Aランチです!)
先輩 「
Bランチの方がいいのか?」
後輩 「押忍」
(いや、Bランチは苦手なものが入ってるので)
先輩 「いったいどっちなんだ!」
後輩 「押忍」
(だからAランチが食べたいんですけど〜)
先輩 「じゃあ、
Cランチにしておけ。」
後輩 「押忍・・・」
てな具合です。
これが2回生、3回生になってくるとだんだんと慣れてきて
「押忍」で会話ができるようになってきます。
「押忍」 「押忍!」 「押〜忍、オスオス。」 「押忍(↑)?」
など、文字ではちょっとわかりづらいのですが、
強弱や語尾の上げ下げによって
微妙なニュアンスが伝えられるようになってきます。
とはいえ否定なんてものはありませんから、理不尽な命令を聞かなければならないのは避けられません。
しかし、そんな理不尽な生活を大学の4年間続ける事で、世の中へ出た時に個人の力ではどうしようもない場面に出くわしても
自分を抑えることができるようになります。
そういった点が人事担当者に評価され、就職難の時代でも会社に採用されるということが多くあったそうです。
上級生は必ず一年生の下積みの時代を経ていますし、みんな大学4年間の苦労をして社会に出て行った人ばかりですから、いわゆる
「男気」を持った
我慢強い人が多くいます。
おそらくは他のクラブでも同じような事はあるのでしょうが、空手部という
ちょっと特殊な環境を過ごした人に、そんな「男気」のある人が多いように思います。
だからエッセイの後半にあるように、そんな男気を持った人と
同じ空手部にいたということが誇りに思えるのです。
世の中には、納得できないけれど自分ではどうしようもないことに見舞われてしまうことがよくあります。そんな時にヤケになったり諦めて放り出したりせずに頑張れる力が、空手部の理不尽な上下関係の中で養われていきます。
それに空手部では下級生の間だけが厳しいのではありません。上級生は下級生にとっては絶対の存在であるけれど、その分、やせ我慢とも言えるほどの
「上級生らしさ」を示していました。上級生としてモノを言えるだけの
強い存在でなければならないのです。
後輩からいい技をもらって、
実は効かされていても平気な顔をしていなければならなかったり、激しい稽古で疲れていても後輩より
先に音を上げることなどできません。稽古の最中だけでなく、後輩を連れて喫茶店にでも入ったら、どんなに懐具合が寂しくても、後輩にお金を出させるようなことはできません。
「ごっつぁんです!」
と後輩から言われたら最期、ポケットの中で薄い財布を握り締めながら
「おぅ」と返事をして伝票を掴んでレジへ向かうのです。
「見栄」と言ってもいいでしょう。
けれど、その
見栄の部分に男気が感じられるのです。
そういった男気を社会人になってからも持ち続けることのできる人は、空手の道を歩いていると言ってもいいものです。
自分が正しいと信じることを、意地でも続ける根性を持った、そんな
男気のある人物になって欲しいものです。
大学空手部ほどの無茶な世界は体験しなくてもいいかもしれませんが、空手によってそのような
「男気」を身に付けることができれば、それはとても意味のあることではないでしょうか。
そして、落語家の三遊亭白鳥さんが感じたのと同じように、空手を稽古している多くの人たちに、同じ
空手をやっているということを
誇りに思ってもらえるようになれば、空手に対する世間の評価も上がっていくと思います。
そうなるように我々空手を学ぶ者は、日々意志を強く持って厳しく稽古に励んでいきたいものです。