危険回避?


挨拶ができる子に


他人と関係性を築く
 少し前にある大会で同席した他の道場の先生と話をしていた時にこの話題になりました。我々のように武道を修練している者にとって挨拶するのは当たり前の話で、よく使われる言葉に「礼に始まり、礼に終わる」というものがあります。挨拶をするというのは相手に対する礼の一番初めの部分です。道場に出入りする時から稽古相手と組手をする時、上級者から指導を受ける時など、必ず礼を行なうのは当然で、道場内だけでなく、家に帰っても家族にキチンと挨拶しなさいとか、出会う人にはちゃんと挨拶するものですと指導しています。

 道場内の人だけでなく、同じ体育館で別の種目で来ている人であってもキチンと挨拶しなさいと指導していると、子供の方が「学校で知らない人に挨拶してはいけないと言われています。」と言うのです。

 学校でそんなバカな事を教えるわけないだろう、何かのカン違いに違いないと思って確かめてみると、なんと本当にそう指導しているというのです。
 なぜそんな事になっているのかと思って調べてみると、これがけっこうネットでも話題になっていることのようで、挨拶はするべきだという専門家も多くいるのですが、物騒な時代だから仕方ないという意見も少数ではないようです。
(→ 参考)

 その是非に関しては各識者の意見を見ていただき、最終的には各自の判断に任すしかないのですが、専門家の方が述べられている中で、「キチンと挨拶をする中で防犯についての指導をしていく方が社会的にも優れている」という意見があり、それが正しいと思います。ですが、各自が個人的な判断で危険回避として行なう事を責める事はできません。

 そこで私は防犯の専門家とは別の視点から、個人的に考えた場合にも挨拶はするべきだという理由を述べたいと思います。

 第一に、挨拶をするということは一つの習慣になるものです。小さい頃から「キチンと挨拶しなさい」と躾けられてきた子供は、大人になっても他人に対してきちんと挨拶するのが当たり前になっていきます。

 小さい頃から挨拶をする習慣を身に付けていない子は、大人になっても当然自分から挨拶することはありませんし、挨拶されても返事さえできない大人になってしまいます。

 無関係の人に挨拶しなくても、特段、問題は無いように思うかもしれませんが、相手から挨拶をされるということは、その人が自分に関係する人だからです。それなのに返事を返さないということは、その人との関係を拒絶する事を意味します。それによって不利益を被る可能性が高いのは容易に想像できるでしょう。

 挨拶をすることは相手に対して関係性を築く事で、挨拶をしないということはその関係を放棄する事になるからです。

 今は関係ないと思っていても、後にお世話になることがあるかもしれません。その時になって「やっぱり挨拶しておいた方が良かった」と思っても遅いのです。

 そして何よりも、挨拶をしない子は「カンジが悪い」ものです。その子が実際にどれほど素晴らしくいい子であったとしても、挨拶のできない子は「カンジが悪い」ものです。つまり、その子は他人に対して「イヤな感じ」を与えていることになります。

 イヤな感じを与える人は「イヤな奴」です。たとえどんなに「自分は他人にイヤな思いをさせようなんて思っていない!」と言っても、イヤな事をする奴は「イヤな奴」です。

 「イヤな奴」が幸せな人生を歩んでいけると思いますか?
 正しくデータを取って調べたわけではありませんが、そんな「イヤな奴」が幸せになれるとは思えません。「イヤな奴」と思われている時点で、そいつは損をしていることになります。

 私は子供を指導していく中で、空手がその子の人生を豊かにするのに役立つものであってほしいと思っています。
 勿論、技術的にも上達し、強くなる事を目指して稽古していますが、その子にとって何より重要なのは、空手によってその子の人生が豊かになり、幸せな人生を歩むことができるようになることです。ですから、指導している時にキチンと話を聞いていなかったり、挨拶がしっかりとできていなかったりすると厳しく叱責することがあります。

 挨拶できなかったり、人の話を聞けなかったりする子供が、大人になって幸せになれるとは思わないからです。

 空手を習っている以上は、当然、組手も強くなっていってほしいし、うまくなってもらいたいのですが、それよりもっと重要なことは、人として成長する事だと思います。空手を習うことでその子の人生が豊かになり、幸せな人生を歩むことができればと願っています。


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