武道とスポーツの違いから


試合についての考え方


武道としての空手


 最近は非常に多くの大会が開催されるようになってきました。以前は1年間稽古をして、年に1度か2度の大会に出るくらいのもので、その試合も全日本大会やその予選のような大会ばかりでレベルが高く、試合をしてみたくてもレベルが一定以上でないと危なくて出られないというものでした。

 もちろん現在もそのような試合は存在しますが、新人戦のような初心者レベルの試合が増えただけでなく、同じ大会の中でクラス分けが細分化されてきて、いろんな年齢層、経験レベル、男女別、体重別などで試合があります。

 子供にとっては大会という目標を持ったほうが頑張りやすいということがあり、また大人にとっても試合に出るという目の前の目標があったほうが稽古を続けるモチベーションを維持しやすいと思います。

 試合に出ることで稽古を続けていくモチベーションを維持するという効果から考えると、クラス分けの細かい方が安心して試合に出やすいし、一つのトーナメントのエントリー数が少ないので1、2回勝つだけでも賞をもらえることになって、非常にヤル気を高めてくれることになります。これらのことは空手道を生涯スポーツとして見た場合にも、とても意味のあることだと思います。

 もちろん空手は武道であって、メインの部分はあくまでもスポーツではありません。けれど、武の道を歩いていくという面から見て、一生、稽古を続けていくという観点からの生涯スポーツとしての取り組みは、武道と相反するものではありません

 しかし、です。
 自分が空手を続けていくという時に、武道をベースにしているのか、スポーツ的な考え方で行っているのかは、非常に大きな違いとなって現れます。

 スポーツとして試合を考えるならば、試合は勝たなければ意味がありません。試合に勝つためにはルールを研究し、それに則って練習するべきです。試合で使わないことはする必要がありません。その時間は無駄と言えるものでしょう。

 けれど武道として見るならば、試合の勝敗はそれほど気にする事ではありません。もちろん試合に出るのに当たって、勝つために一生懸命努力するのは大切な事ですが、試合で必要とされる技術は武道の中のほんの一部分です。試合では公正に競技を行う必要からルールを決めて競い合うのですから、試合に出る時にはそのルールを守らなければなりません。
 しかしそれは、あくまで試合を行なうため技術を限定しているだけのものです。

 ところが本来は武道であるはずの空手が、試合をすることでスポーツ化していき、勝つことが最優先、負けたのでは意味が無いと考える人が増えてきたように思います。

 だから体重をゴマかして出場したり、級を偽って試合に出たりするヤツが出てくるのです。

 一体何のために試合をするのか、自分は何を目的に大会に参加しているのかをよく考えれば、自分がその試合に出ていいのか、また出る必要があるのかがわかるのではないでしょうか。

 子供の試合の場合には親が申し込みを行いますから、そのへんをキチンと指導者が伝えていないと子供が間違った方向へ進んでいくことになります。
大人の場合も本人がよく考えてしっかりと目標を見据えて試合に出なければなりませんが、この場合にも指導者の助言が必要なのは言うまでもありません。

 いずれにしても、せっかく空手をしているのですから、武道としての空手道を志してほしいものです。


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