前回に引き続き柔道についてのコラムです。年も変わって今更の話題だと思われる方も多いかもしれませんが、オリンピック直後のヒステリックな感情からくる意見ではなく、冷静に柔道界を外から眺めて柔道が良くなるようにとの願いを込めての文章です。内容は現在の柔道界に対しての批判めいたことを述べていますが、同じ日本の武道として応援する気持ちがあるからこそだとご理解下さい。
ロンドンオリンピックが終わって半年、スポーツ界も少し落ち着きを取り戻してきたようです。メダル数は過去最多を記録しましたが、柔道の不振は悲惨なものでした。
男子は金メダル無し。女子も1つだけです。その反省から柔道を復活させるために各部署でいろいろな事が言われています。
この新聞記事もその一つですが、内容は
「本物の技」を身に付けろということを述べています。そして、その為には
基本が重要であり、柔道では打ち込みが大事であると書かれています。
しかし、日本代表になってからの強化合宿で打ち込みばかりさせているわけにもいかないでしょう。底辺拡大の為ではなく、
ピラミッドのトップを育成しようという場で、基本ばかりやっていては発展が見込めるわけありません。
基本をやらなくていいというのではありません。日本代表に選ばれるくらいならば、それぐらいの事は
自分でやっておくべきだと言っているのです。
記事にもあるように、
基本の上に自分の代名詞と言えるような
「本物の技」が身に付くのです。ところがその基本の鍛錬が不足しているように思います。
そしてそれは組織の仕組みよりも、
個人の意識の部分が大きいと思うのです。
ここに一冊の本があります。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)
ルポライターの増田俊也氏が丁寧に資料を調べ、実際に証言が取れる人には細かく当たって詳しく調べ上げた渾身の一作です。
もちろん木村政彦氏が亡くなられているので、すべてが本当に事実なのかということは断定しきれませんが、かなり真実に迫っているのではないかと私は思います。
その中で、木村政彦氏が
どれほど稽古をしていたか、また
どれだけの覚悟で稽古と試合に臨んでいたかを読めば、
現代柔道家の甘さが見えてきます。
オリンピックの
3位決定戦に負けた後のインタビューで半ベソ掻きながら
「何色でもいいんでメダルが欲しかったです・・・」
なんて言っているのを見ると、日本人として情けなくなってきます。
また別の敗者へのインタビューでは、
「今はやりきったから出てこない」
というセリフもありました。
いったい
何を「やりきった」んでしょう。本当に必死で稽古したのでしょうか。
自分では必死のつもりだったのかもしれませんが、全然稽古が足りなかったのではないでしょうか。
まだ低い能力のままでオリンピックを迎え、
その試合の中では確かに自分の出せるすべてを「やりきった」のかもしれませんが、本番の試合に至るまでの稽古で
何もかも「やりきった」と
自信を持って言えるのでしょうか。
もし木村政彦氏の半分でも稽古したなら、今の柔道界だったら楽々金メダルを取れるのではないかと思います。
それ以前に、
負けた時に「何色のメダルでも・・・」などとは言えるはずもないでしょう。
現在の柔道界では総監督が井上康生氏に替わり、篠原信一・前監督の指導方針とはやり方を変えて、各階級のデータ分析などに力を入れると
新聞で報道されていました。
篠原前監督のカラーは
「がむしゃらさ」にあり、
「乱取りも走る練習も日本はダントツで多かった」と井上監督も言っていますが、それが
「やらされている」間はまだ一段下のステージにいるままです。
上にも書いたように、
基本的な稽古という土台が無ければ各個人がレベルアップすることなどありえません。
おそらく篠原前監督は、自分の経験から基礎トレーニングの大切さを知っており、がむしゃらに稽古することを選手に求めたのでしょうが、
各個人の意識がそれに付いていかなければ、
効果が上がるはずありません。
井上監督はそういったがむしゃらさよりも、多くのデータを元に対策を練る方が重要だと考えているようですが、私は
各個人の絶対的な力量を上げる方が先決だと思います。
もちろん今のスポーツ界で対戦相手の細かいデータを分析して戦略を練るのは当たり前の事かもしれません。しかし、その前になすべきことは、まずは絶対的な
柔道家としての力を身に付けることであり、その為には各個人が持つ柔道に対する意気込みを強く持ち、日本代表という
自分の置かれた立場を自覚することではないでしょうか。
木村氏の時代と違って、今のオリンピック代表には多額の強化費が使われており、その出所は我々が収めている税金からの支出であるという事を忘れて欲しくありません。