一万時間の法則


稽古量の大切さ

 私が以前にお世話になったある空手流派の宗家が次のようなことを仰っていました。

「私に一人の選手を3年間預けてもらえたらチャンピオンに育てる自信はあります。」

 これがどういうことを意味しているのかわかるでしょうか?
 「そうか、エライ先生に教えてもらったらチャンピオンになれるのか!」などと考えるのは早計です。

 もちろんその先生は自分が教えることでチャンピオンを作るだけのノウハウを持っているのでしょうし、その確信があって言ったのでしょうが、上の言葉には続きがあります。

「ただし、一日8時間くらいは稽古しないといけません。」

 つまり、簡単に言ってしまえば稽古した量によって上達が決まる、ということです。
 どんなにすばらしい稽古法を知っていたとしても、理屈だけでは強くなれません。
「流した汗はウソを付かない」とはよく言われることですが、汗を流して稽古を積まないと絶対に強くはなれないのです。

 普段の稽古みたいに1回のクラスが終わると汗びっしょりで道着が絞れるというくらい、激しい稽古を1日8時間もするというは、当然ながら無理ですが、それほど体力を使わなくてもできる稽古がたくさんあります。

 「量より質」とはよく言われることで、ダラダラ長くやっているより短い時間に集中してやった方が良いのだと一般的には考えられています。

 けれど上のレベルに到達するには、必ず一定以上の時間が必要となってきます。

 もちろん稽古時間すべてに集中できればそれが一番良いのでしょうが、人間の集中力には限界があります。8時間ぶっ通しで集中したまま稽古を続けるなんてことは、普通の人にはまずできません。例え1日くらいはできたとしても、それを毎日というのは絶対に無理というものです。
 一度に激しくやり過ぎると、その反動でその後しばらくは何もしない(できない)時間が出てきます。

 その結果、結局は稽古時間の総量が少なくなってしまいます。

 思いっきり全力で汗を流す時間も必要ですが、体力的には大したことなくてもコツコツと続けなければならない稽古があります。

 そういう一見地味でたいしたことのないような稽古を積み重ねることが、自力となって身に付いていくのです。

 運動能力に素質のある人ほど、ちょっと技の動きを稽古しただけで難なく使えてしまうので、繰り返しそれを稽古することを怠ってしまいます。なので、息が上がったり、相手と力が拮抗していたりするとその技を出すことができません。
それはつまり「身に付いていない」ということです。

 器用に技をこなすことはできても、実際に相手を前にしてどちらも必死で戦っている時には身に付いた技しか出せません。身に付いた技というのは「ここをこういうふうに」なんて考えて出すものではなく、気が付いたら出していた、という技です。

 無意識のレベルで、相手の動きに反応して技が出せるようになったら、それは自分のステージが一つ上のレベルに上がったと言えるでしょう。

 では、そこに到達するまでに要する時間はどれくらいなのでしょうか。

 一般的に、ある一つの技術を専門としてプロレベルで行なえるようになるには、最低でも一万時間は徹底的にそれを繰り返す必要があると言われています。

 これが「一万時間の法則」というやつです。

 まず実践し、悪かったところを修正し、そしてさらに高みに上るために稽古を積む。その繰り返しが血となり肉となって上達していくことができるわけです。

 「石の上にも三年」ということわざがありますが、計算してみるとこの一万という時間が見事に当てはまります。

 一般にこの諺は、仕事を身に付ける上で最低でも3年は我慢して仕事を続けろ、という意味で使われることが多いのですが、3年続ける事でそれをこなすだけの能力が身に付くというわけです。

 「1日12時間週6日」働くと1週間で72時間。これを1年間52週続けると3744時間。1年で3744時間ですから3年続ければ一万時間を超えることができます。
けれど昔は週6日勤務で祝日も少なかったから「石の上にも三年」でよかったのかもしれませんが、今だと「1日8時間週5日」の勤務が一般的ですから、年間2080時間になり、一万時間を達成しようとすると5年は必要になってきます。

 ですから今は「石の上にも五年」は必要かもしれません。

 マルコム・グラッドウェルという人が「Outliers: The Story of Success」という本の中で、伝説的なプログラマーのビル・ジョイ、マイクロソフトのビル・ゲイツ、ビートルズのようなバンドの成功も、「一万時間の努力」と、いくつかのタイミングによって成し遂げられていると書いています。

 その本ではいくつかの例を出して説明していますが、注目すべきは音楽学校でバイオリンを学んでいる生徒を
 の3グループに分けて、練習量を比較した調査の結果です。

 それまでの総練習時間をみると、ソリストになりそうなグループは同じ年齢で既に一万時間に達しているのに対して、プロオケレベルのグループは8000時間、他は4000時間にしか達しておらず、一週間の練習量でもソリストグループが他のグループよりも圧倒的に多かったということです。

 そして、更に重要な事は、
 「練習をせずに天才的才能を発揮する人」も、
 「いくら練習をしても上達しない人」見られなかったという点です。

 けれど、ここで勘違いしてほしくないのは、
 「一万時間費やさないと何も上達しないのか?」というと、
そうではないということです。

 常に上達しながら一万時間に近づくのですから、やればやるほど上達するのです。
まぁ、当たり前と言えば当たり前なんですが。

 この一万時間の法則は、空手においても同様のことが言えます。内弟子として住み込みで修行する場合などは千日修行と言われ、三年間稽古に没頭することが求められます。
 これは短期間で一定レベル以上になる為には必要な事なんですが、一般の空手を習いに来ている人からすれば、最初から一万時間と言われるとやる気を失ってしまう人の方が多いのではないでしょうか。

 では、なぜこのような例を挙げているかというと、

 「練習をせずに天才的才能を発揮する人も、いくら練習をしても上達しない人もいなかった。」という点に注目して欲しいからです。

 空手を始めたばかりの人にいきなり、「一万時間、空手の稽古をやりましょう。」と言っても、「本当にそんなにできるのか?」と心配になってきますが、せっかく空手を始めたのなら、時間が許す限り空手の稽古に知り組んで欲しいものです。

 内弟子のように一万時間空手漬けで稽古するのは無理でも、「日常の生活の中で出来る限り空手を意識する」だけでも上達に差が出てきます。

 自分ではたいしたことのないように思える稽古でも、空手に全く触れていない人に比べれば、僅かでも確実に進歩しているのです。

 例えば、電車やバスを待っているほんの僅かな時間でも型のイメージを持ってステップの確認をしてみるとかです。

 実は空手の高段者ほど、一人で手持ち無沙汰な時などに無意識に技の動きをなぞっているのがよく見られます。

 先に述べた空手の宗家も一人の時にはいつもユラユラ身体を揺らしていて、酔っ払ってるのかと思うような時がよくありました。(知らない人が見たらちょっと危ない人に見えなくもありません。)

 けれど、たとえ少しでも長い時間、空手に関わる事で確実に上達していくというのには間違いありません。
 常に空手の事を意識しているというだけでも必ず上達に差が出てきます。

 皆さんも日々の生活の中で常に空手を意識して、少しずつでも上達していくようにしてはどうでしょうか。

 そうやって日常の生活の中に空手を取り入れ、生活と密着した形で空手を続けていくことが「道」として空手を学ぶことにもなっていくものだと思います。


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